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2021年3月 4日 (木)

高天原・天孫降臨ー6 伯耆国 蒜山説-3 倭文神社

3月4日の誕生花           スイセン (水仙)

花言葉:      神秘、自己愛、自惚れ
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今回から「高天原 天孫降臨 蒜山説」

に関わる、小生が現地探訪した神社を

ご紹介します。

 

倭文神社   (しとりじんじゃ)

 鳥取県 湯梨浜町大字宮内754, · 

倭文は「しとり」と読み、古来存在していたしづおりという織物のことを指します。

創立年代は不詳ですが、社伝によれば倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の五柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々です。下照姫命は大国主命の娘として生まれました。農業や医療の技術に長けており、大国主命と力を合わせて出雲の国づくりに励みました。そんなおり、天照大神は天稚彦という神を遣わし出雲の国譲りを要求しました。ところが天稚彦は下照姫命と恋に落ち、復命することはありませんでした。しかし下照姫命と天稚彦との幸せな日々は続かず、天稚彦は天照大神から遣わされたキジを射殺したことが原因で、天照大神により射殺されてしまいました。下照姫命は夫の死、国譲りによる出雲との別離などを乗り越え、一匹の海亀によりここ伯耆国宇野の海岸に導かれました。そのまま現社地に住を定め、当地で死去するまで安産の指導、農業開発、医療普及等に努めたとされています。氏子である宮内に住む人々は下照姫命の従者の祖先だとされており、さらに周辺にある亀石、宮戸弁天、出雲山といった場所は縁の深い地である、とされております。

神社入り口手前の 右道端に安産岩が有ります。 
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次に夫婦岩が有ります

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まだ山を登ると倭文神社の
社頭に突き当たります。

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                    境内図
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石段を上がると正面に白い鳥居が有ります。
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鳥居扁額には「伯耆国一宮倭文神社」と書かれている。

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鳥居をくぐると正面に随神門。左に由緒板が有ります。

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          髄神門

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          随神像

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          参道

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随神門をくぐり参道をゆく。境内はスギ、クスノキ、広葉樹などの巨木の森。右に大きな石が有りましたが何の石かわかりませんでした。

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国指定史跡「経塚」の説明板。

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直径3mほどの穴の周りをコンクリート柱で囲んでいる。

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境内に戻ると左に大きな手水舎があります。

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右に赤瓦屋根の社務所と御札授与所があり御朱印はここでいただけます。

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正面に薄黒茶屋根の横広い拝殿が鎮座しています。

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          拝殿内陣

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本殿 社殿は流造だが、鰹木は3本、千木は男千木という出雲系。御神紋は二重亀甲に三つ菱。方角は南を向いています。主祭神: 建葉槌命(たけはづちのみこと) 配祀:下照姫命 外五柱(したてるひめのみこと)

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     猫好きの方必見です

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       ☆NEW ARRIVAL☆

前回の和柄リボンが大変好評を頂きましたので、

    今回は和風模様のバンダナを作りました♪

   市松・麻葉・亀甲・うろこの4種類をご用意。



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バンダナにはキラキラのラインストーンを3個✨

ブラックで縁取りシャープなイメージに仕上げました

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    【和柄バンダナ】¥1650(税込)

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2021年2月25日 (木)

高天原・天孫降臨ー6 伯耆国 蒜山説-2

2月25日の誕生花    ハナカイドウ (花海棠)

花言葉:            温和、美人の眠り
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因幡・伯耆国は今日で言う出雲国の隣です。伯耆国はもとは出雲国と同じスサノオ大国主の命が支配していました。もと出雲の国ならばスサノオや大国主がいた痕跡(祭られている神社)が残っているはずです。宮崎県には少ないが伯耆国は多い(387社中 素戔嗚 199社・大国主 89社)です。もと出雲国の伯耆国を天孫族に国譲りしました。国譲りの交渉に2番目に派遣された天稚彦命は大国主の命の娘の下照姫命と結婚して8年間帰って来ませんでした。結婚して伯耆国の倉吉駅の近くの大平山近辺に住んでいました。天稚彦命と下照姫命の祭られている神社は希少ですが倭文神社(しとりじんじゃ)(旧舎人村 湯梨浜町宮内754) 
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と 波波伎神社(倉吉市福庭)に祭られています。
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 波波伎(ハハキ)とは櫛稲田姫命が「母来ませ」と助けを求めたところからきています。波波伎神社の横を流れる天神川の上流の坂本の神社には櫛稲田姫命の両親が祭られています。箸の流れるのが分かるほどの支流です。途中、大瀬ほうき(ハハキが訛ってほうき=伯耆になった)という地名も残っています。大平山の麓には後に 天孫降臨の{ニニギの命」が東倭を征伐し浦が安くなるように建立したと伝のある上里神社があります。
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 『尊卑分脈』に引く藤氏大祖伝に、藤原不比等は山科の田辺史大隈の家で養育され、史(ふひと)と名づけられたと記されている。百済系史官とは、田辺史・書首・船史らのことをいうが、当時の最大権力者藤原不比等(史を不比等に改めた)が、百済系史官のバックにいたことは当然考えられる。不比等は大宝律令の撰定者でもあったが、『続日本紀』に、藤原不比等ら撰定者に録を賜うとあり、その中に田辺史百枝・田辺史首名の名がみえる。田辺史から選ばれているのは、田辺史に養育された不比等の援助によるものであろう。大宝律令の撰定に百済系史官を使っているのだから、『日本書紀』の編纂にも藤原不比等の息のかかった百済系史官を使ったものと思われる。百済系史官が『日本書紀』の編纂における中心的役割を果たしていた。山上憶良は百済人であり百済系史官であった。

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  白村江の戦で敗れた朝廷は都を大津に移し、百済の王族を宮崎県に逃がしている。当時の最大権力者である藤原不比等も百済系である。藤原不比等の息のかかった百済系史官が『日本書紀』の編さんにおける中心的役割を果たしていた。藤原不比等は自分たちに関係する百済の王族のいたところを天孫降臨の地にしたかったのである。それが天武天皇の命で編さんされた古事記を改ざんし、長い間消し去っていた動機である。古事記は 712年に発表されたが長い間消し去られていた。 古事記を見て天孫降臨の地が伯耆国であると知った藤原不比等は 716年に史誌編さんに携わっていた「山上憶良(やまのうえのおくら
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奈良時代初期の下級貴族出身の官人であり、歌人として名高く、万葉集に80首の歌が収められている。660年頃の生まれと推定され、粟田朝臣の同族で、天足彦国忍人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫とされる説と朝鮮半島からの渡来人である。憶良は、42歳で遣唐使書記に抜擢され、貴族になったが、出世に恵まれず、54歳の時に上級官人になり、716年(霊亀2年)に57歳で初めての国司として、伯耆守に任命された。その後、726年(神亀3年)ごろに67歳で筑前守として赴任。その地で大宰府の長官に着任した大伴旅人(大伴家持の父)と交流があった】【大伴旅人(おおとも の たびと)は飛鳥〜奈良時代にかけての人物です。665年に生まれ731年に67歳でなくなりました。新元号「令和」の発表では、大伴旅人の名前の他に、「太宰府(だざいふ)」という名称も話題になりました。Photo_20201021073001

これは旅人が728年、九州地方の政治の統括や、大陸からの防衛などの任務を担っている太宰府の長官(大宰帥=だざいのそち、と言います)に任命され、今の福岡県太宰府市に赴任した事がきっかけとなっています。

山上憶良は(天孫降臨の地の移転目的で)古事記の内容の確認と調査のため伯耆国の国司(国庁は倉吉市国府)に派遣する。好きな万葉の歌一首をつくることもせず、調査に専念している。伯耆国の調査報告を受けた藤原不比等は古事記の記述をもとに百済色に改ざんして日本書紀などの史誌を編さんした。その後日本書紀は 720年に発表されその年に藤原不比等も亡くなった。翌721年に山上憶良は朝廷へ帰った。5年後の 726年再び筑前の国司として九州に行く。 大伴旅人(九州全体の長官)と仲良くなり、日本書紀などの史誌に合うように 九州の地名・神社の創設・神楽の創設をしていった。

 

 九州の記紀伝説は伯耆国の地名を変えただけのものです。八幡神社を各地に作って既存の神社の存在感を希薄にしたのもこの頃である。伯耆国にあった神社を目立たないようにしてきた。延喜式神名帳(927年)に記載されている神社で鳥取県は僅かに48社であるが 因幡国42社で特に伯耆国は6社にしか過ぎない。この頃因幡には 250社、伯耆は 240社位あったそうである。因幡と伯耆の祭神を見ると、因幡は古事記による神名が多いのに反し、伯耆は日本書紀による神名が多い(鳥取県神社誌昭和9年刊)。日本書紀編さんに携わっていた者の影響が残っている。北栄町上種・茶屋条の西の丘の上にある大宮神社は鳥取県神社誌には載っていない。造りは新しいが上種・茶屋条の住民はずっと昔からこの場所にあって管理してきたそうである。住民の記憶までは消すことが出来ない。

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 ニニギの尊は高千穂に立たれて「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、と古事記には書かれている。「韓国に向かい」で論争になったが、対馬海流にのると朝鮮半島からは流されるように鳥取県や丹後半島に着きますよと、とらえればよい。古くから朝鮮半島からの渡来人が多く漂着したところです。当時は海岸線が4m高く、リアス式海岸であり笠形の砂地を先頭にして、北栄町の瀬戸から亀谷・津原・穂波・原まで巻くような大島を中心とする大きな天然の良港があった。今でも葦が茂っており葦原中津国である。「朝日は直にさし、夕日は日照る」地である。そして現在の地方名も「中国地方」の呼び名が残っています。

北栄町の松神と下神の北側にはニニギの命とコノハナサクヤヒメが出会った三輪山があった。今は崩されて丘だけとなり三輪神社跡の石碑が残るのみであるが、三輪神社にはニニギの命(日向御子)が祭られていたのではないか。松神神社には神阿多都比売(コノハナサクヤヒメ)がまつられている。

 縄文海進で海面が百数十メートル上昇すれば蒜山のような高いところに逃げるのは本能である。その後国譲りで蒜山から鏡ヶ成(猿田彦が鏡を使って連絡をした場所)を通ってすぐ下の関金に降りてきた。幼少期のニニギの命は関金(三ヶ所の神社に祭られている、神田神社 関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、

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松尾神社矢送神社 旧矢送村 関金町山口447番、

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日吉神社 関金町関金宿325番)

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で成長し上福田(楯縫神社)に移り、その後上種(大宮神社)に御所を築いた。関金からほぼ真北に移動している。大宮(上種)以前(関金、上福田)は山影の場所ばかりで大宮(上種)を「日当たりの良い地である」と言ったのはもっともである。 もと出雲国であり天孫に譲られた国、天孫降臨の地は伯耆国である。ニニギのお供の者も北栄町の大宮を中心に自然な距離に祭られている(天児屋根命は穂波神社に祭られていた)。天太玉命は方見神社(琴浦町上伊勢100番地)

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に石凝姥命は倉坂神社(琴浦町倉坂1229番)に

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天手力雄命は神郷神社(琴浦町大杉887番)に、
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天鈿女命は上里神社にまつられている。
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コノハナサクヤヒメもニニギの尊のおられた大宮神社と同じ丘陵の少し下ったところにある亀谷神社
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祭られています。行き来するのに自然な距離です。また産屋があったと思われる高江神社が隣の丘にあります(コノハナサクヤヒメを祭る子安神社)。

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 天孫族には産屋の習慣がありました。川ひとつ挟んだ隣の丘に産屋をこしらえて、そこでお産をし、一ヶ月はそこですごす。コノハナサクヤヒメは身の潔白を証明するために産屋に火を放ってお産をしたそうです。また、玉依姫は産屋を作るのが間に合わなかったため、その子の名前はウガヤフキアエズという名前になりました。このように、天孫降臨の地は産屋の仕来たりのあるところでなくてはならないのですが、九州沿岸にはこの仕来たりはないそうです。日本海沿岸にはつい最近までこの仕来たりが残っていたそうです。

 

  やすみししわご大君の食国(おすくに)は倭(伯耆国を含む出雲)も此処(九州)も同じとぞ思ふ -大伴 旅人父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より 成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君います この照らす 日月(ひつき)の下は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み 蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極(きは)み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか 山上 憶良父母を見れば尊い。妻子を見れば可愛くいとおしい。世の中の道理はこうしたもの、黐(モチ)にかかった鳥のように家族への愛情は断ち切り難い。行末も分からぬ我等なのだから。穴のあいた靴を脱ぎ捨てるように父母や妻子を捨てて行くという人は、非情の石や木から生まれた人だろうか。あなたの名前(大伴旅人)をおっしゃい。天へ行ったなら、あなたの思いのままにするのもよかろうが、この地上ならば、大君がいらっしゃる。この太陽と月が照らす下は、雲の垂れる果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、大君のお治めになるすぐれた国土なのだ。

出典

高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説  
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/

佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説
古事記・日本書紀の高天原は岡山県真庭市の蒜山である、とする。
田村誠一氏、vetty氏の天孫降臨地=伯耆国説
http://ysaino11.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

 

次週に続きます


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 チョコレートストライプのお襟が付いたカラーに

  チョコレートドットのネクタイを付けました♪
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   ネクタイの先にはラインストーン✨

お色はオレンジチョコとミントチョコの2色です。
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2021年2月18日 (木)

高天原・天孫降臨ー6 蒜山、天孫降臨地=伯耆国説-1

2月18日の誕生花  キンギョソウ (金魚草)

花言葉:  おしゃべり、清純な心

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高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説

 

高天原の主役は天照大御神である。蒜山高原に鎮座する6神社は、すべて「天照大御神」を祀っている。 高天原には「三貴神」以前の神々も居なければ成らない。蒜山周辺には旧石器時代・縄文時代の遺跡が発掘されており、天照大御神以前の神々もいた.。

  蒜山   長田神社に ニニギが祀られている

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ニニギと神武天皇が祀られている
 加茂神社

加茂神社--八束村 岡山県真庭市蒜山下見1255 電話番号  
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201407130000/
御祭神
別雷命(かもわけいかづちのみこと)神道の神
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといわれびこのすめらみこと)神武天皇
天照大神
阿鋤高日子根命(あじしきたかひこねのかみ)


合祀された神社と祭神は次の通り。

下見の八幡神社・・・品陀別命(ほむたわけ)
美田野の大山祇神社・・・大山津見命(おおやまつみ)
定広の狭田神社・・・佐田比古命(さたひこ)
定広の山祇神社・・・大山祇命(おおやまつみ)
定広の横呂神社・・・大巳貴命(おおなむち)
定広の須崎神社・・・経津主命(ふつぬし)、武甕槌命(たけみかづち)
荒神谷の水戸神社・・・速秋津比古命(あきつひこ)、速秋津比賣命
荒神谷の大真木神社・・・句句廼馳命(くくのち)
山城の大山祇神社・・・大山津見命(おおやまつみ)
山城の愛宕神社・・・軻遇突智命(かぐつち)
大下見の坂根神社・・・下照比賣命(したてるひめ)
大下見の稲荷神社・・・倉稲魂命(うかのみたま)
大下見の荒宮神社・・・木花佐久夜日賣命(このはなさくやひめ)
大下見の金山神社・・・金山比古命(かなやまひこ)
大下見の塞座神社・・・来名戸神(くなどのかみ)

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全国の13ヶ所の高天原候補地の中で、諸条件が整うのは蒜山だけである。ニニギも神武天皇も蒜山にいたのであり、高天原は蒜山(但し、鏡ヶ成も含む)であった。ニニギも神武天皇も蒜山(高天原)から鳥取県中部(倭国)に降臨した。

 

出典

真実の古代史 by サイの尾・猿田彦 http://ysaino11.blog.fc2.com/blog-entry-129.html より


『古事記』は編纂1308年を迎えました。皇紀2681年 『古事記』に登場する神話は、『出雲神話』がおよそ三分の一を占めており、中でも須佐之男命 のオロチ退治は全国的にも有名です。
高天原から見ると 葦原中国(あしはらのなかつくに)は現在の中国地方で、島根県松江市東出雲町に有る〈黄泉国〉または〈根の国〉にそれぞれ相当する。〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界である。また素戔嗚尊が降臨した地も少し離れた奥出雲(現在の島根県)で父神の命令を聞かず、亡き母に会いたいと泣き続ける須佐之男命 を父神は追放します。素戔嗚尊は姉である日の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)のいる高天原(たかまがはら)に行きますが、そこでも散々乱行を働いたために天照大神は岩屋戸に隠れてしまいます。日の神が隠れたことにより世界は暗闇となり災いが訪れ、これは大変と高天原の八百万(やおよろず)の神たちは計略をもって天照大神を岩屋戸から引き出し、スサノオを追放します。またもや追放された須佐之男命が降臨したのが、出雲国(現:島根県)東部の奥出雲町に在る鳥髪峰(現:船通山)という地でした。(出雲市を流れる斐伊川の源流)そこからしばらく行くと、美しい娘「奇稲田姫(くしなだひめ)」と老夫婦が泣いており、聞けば恐ろしいヤマタノオロチに娘が食われてしまうといいます。須佐之男命 は娘を嫁にもらうのと引き換えに、ヤマタノオロチを退治することになりました。それに隣接する安来市は彼が地名をつけたという風土記の記述もある。
岡山県真庭市に鎮座する「茅部神社」の山を登ったところ。天岩戸、真名井の滝、天の浮橋等がある。

 

出典
ウィキペディア
高天彦神社
古事記・日本神話の伝承地~高天原史跡ガイド

 

学生時代 高天原は「宮崎県の高千穂」だと習った記憶がある。


だが小生が高千穂を訪れて多くの疑問を感じた。何故「葦原の中つ国」つまり 日本の中心が九州の宮崎なのか  現在の山陰地方 出雲の大国主から 国譲りを受けた地が何故 宮崎県なのか?
  

大国主の次男「建御名方命(たけみなかたのみこと) 」【地上の国・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めていた大国主命の元に、国を譲るよう高天原から建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ) が遣わされます。大国主命は自分ではなく二人の息子・建御名方神と事代主(恵比寿)に交渉するように言い、建御名方神はタケミカヅチノ大神に力比べで国譲りの有無を決めることを提案します。しかし、タケミカヅチノ大神はとても強く、手を握りつぶされた建御名方神は命からがら逃げ出します。

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やがて現在の長野県・信濃国の諏訪湖まで追い詰められた建御名方神はもう諏訪から出ないことを条件に許され、諏訪地域に祀られることになりました。 国譲りに際して、なぜ出雲の国に逃げずに長野まで逃げたのか。

  建御名方命が祀られている 諏訪大社 本宮
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現在の島根半島
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くにびき神話の島根半島
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古代の島根半島
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島根県松江市美保関町の島根半島東端に、鎮座する美保神社は大国主命(だいこく様)の長男、事代主命(えびす様)とその母神三穂津姫命をお祀りする二殿連棟(美保造り)の特殊なお社です。

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国譲りの島根半島東端の美保神社で 今も行われる青柴垣神事は大国主神がその言葉通り国土を奉献されたと伝えられる「国譲り」の故事に因む神事で、事代主命の恭順忠誠のご事蹟を偲び、海中に青柴垣の御船を浮かべて奉仕される珍しいお祭りです。

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天照大御神を祀る神社は鳥取県に110社あるが、その中で伯耆国は87社(79%)、因幡国は23社(21%)である。総神社数は因幡国のほうが多いが天照大御神を祀る神社は鳥取県中西部が圧倒的に多い。

天孫降臨に関係する鳥取県中部の神社の祭神

神社名と住所は鳥取県神社誌(昭和9年刊)に基づいています。合併(大正時代)までの神社も挙げています。

小生は検証のため下記の神社を訪ねました。

波波伎神社 (ハハキジンジャ) 
 鳥取県倉吉市福庭654番 

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上里神社(うえさとじんじゃ)
 鳥取県倉吉市清谷1217 《主》天児屋根命

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大原神社(おおはらじんじゃ) 鳥取県倉吉市大原619

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神田神社            
鳥取県倉吉市関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、

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矢送神社   鳥取県倉吉市関金町山口447番地、

日吉神社    鳥取県倉吉市関金町関金宿325番

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松河原神社   鳥取県倉吉市関金町松河原133-2 


倭文神社 (しとりじんじゃ/しずりじんじゃ)
 鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754 

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松崎神社  鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎566番

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松神神社 (まつかみじんじゃ)
 鳥取県東伯郡北栄町松神796 神阿多都比売

亀谷神社
 鳥取県東伯郡北栄町亀谷680 木花之佐久夜比売命

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高江神社 (たかえじんじゃ)  
 鳥取県東伯郡北栄町由良宿978  産屋があったと思われる

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方見神社 (かたみじんじゃ) 
 鳥取県東伯郡琴浦町上伊勢99 天太玉命

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倉坂神社 (くらさかじんじゃ)

鳥取県東伯郡琴浦町大字倉坂1229番 石凝姥命

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神郷神社  鳥取県東伯郡琴浦町大杉887  天手力雄命

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大宮神社 (おおみやじんじゃ)鳥取県東伯郡三朝町大瀬370 

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日御碕神社 
  鳥取県西伯郡南部町三崎(祭神 うけいの八神)

野上荘神社 
 鳥取県西伯郡伯耆町福吉264(祭神 うけいの八神)



第1次(紀元前185年頃)の降臨神が祀られている神社


(1)饒速日命 神田神社(南谷村泰久寺) 日吉神社(矢送村関金)ー祭神は瓊瓊杵尊にしてあるが、本来は饒速日である。


(2)經津主神 倭文神社(北谷村志津)井手畑神社(上北条村井手畑)


(3)建御雷神(武甕槌神) 岩崎神社(由良町妻波)春日神社(古布庄村宮場)


(4)天照大神 神田神社(南谷村泰久寺)新宮山神社(西郷村下余戸)牧神社(旭村牧)国主神社(舎人村北福)上古川神社(上小鴨村上古川)上市神社(高城村河来見)灘手神社(灘手村穴沢)方見神社(市勢村上伊勢)野田神社(上郷村野田)日御碕神社(下中山村御崎)


(5)月読命(保食神) 賀茂神社(旭村森)波波伎神社(日下村福庭)稲荷神社(小鴨村岡田)秋喜神社(小鴨村秋喜)服部神社(高城村服部)上米積神社(高城村上米積)中山神社(上中山村東積) ※ 方見神社の祭神に稲荷神とある。桜神社(高城村桜)風宮神社(高城村岡)


(6)稚産霊(和加産巣日神) 中尾神社(伊勢崎村中尾)神郷神社(上郷村大杉)倉坂神社(上郷村倉坂)中山神社(上中山村東積)


(7)豊受姫(倉稲魂命) 大原神社(倉吉町大原)新宮山神社(西郷村下余戸)立原神社(西郷村上余戸)天高神社(西郷村八屋)伊木神社(西郷村伊木)山根神社(西郷村山根)山田神社(三朝村山田)森村崇敬神社(旭村森)鎌田神社(旭村鎌田)今泉神社(旭村今泉)玉阪神社(竹田村曹源寺)西小鹿神社(小鹿村西小鹿)岩伏神社(橋津村橋津)市場神社(小鴨村市場)菅原神社(小鴨村菅原)長坂神社(小鴨村東鴨)中河原神社(小鴨村中河原)谷口神社(上小鴨村耳)広瀬神社(上小鴨村広瀬)湯関神社(矢送村関金)中野神社(北谷村中野)三江神社(北谷村三江)三輪神社(下北条村土下)子守神社(大誠村六尾)高江神社(由良町由良宿)満利山神社(古布庄村杉地)田越神社(八橋町田越)井出上神社(成美村出上)成美神社(成美村太一垣)柴尾神社(以西村山川)湯坂神社(安田村湯坂)下甲神社(下中山村下甲)賀茂神社(下中山村羽田井)中山神社(上中山村東積)高岡神社(上中山村退休寺)


(8)天忍穂耳(大物主・大国主命) 三輪神社跡(下北条村下神)大原神社(倉吉町大原)賀茂神社(旭村森)神田神社(南谷村泰久寺)大和山神社(灘手村別所)照国神社(下郷村美好)古布庄神社(古布庄村別宮)下見神社(古布庄村三本杉)神郷神社(上郷村大杉)


(9)天穂日 大原神社(倉吉町大原)恩地神社(旭村恩地)松崎神社(松崎村松崎)田内神社(倉吉町巌城)


(10)伊斯許理度売命(石凝姥命) 倉坂神社(上郷村倉坂)

(11)天児屋根命 今泉神社(旭村今泉)上里神社(日下村清谷)長瀬神社(長瀬村長瀬)矢送神社(矢送村山口)垂井神社(社村大谷)三輪神社(下北条村土下)穂波神社(大誠村穂波)下郷神社(下郷村下大江)春日神社(古布庄村宮場)春日神社(下中山村赤坂)


(12)天太玉 長瀬神社(長瀬村長瀬)矢送神社(矢送村山口)中尾神社(伊勢崎村中尾)


(13)天手力男 神郷神社(上郷村大杉)

(14)玉祖命 長瀬高浜を終の棲家としそこで玉を造っていた。羽合歴史民俗資料館では2200年前の遺跡であるとする。


(15)天石門別神 神郷神社(上郷村大杉)倉坂神社(上郷村倉坂)


(16)思兼命 松尾神社(花見村野花)

(17)天宇受売命 上里神社(日下村清谷)長瀬神社(長瀬村長瀬)灘郷神社(泊村泊)


(18)猿田彦 山根神社(西郷村山根)幸能鶴神社(竹田村穴鴨)小鹿神社(小鹿村東小鹿)中津神社(小鹿村中津)東郷神社(東郷村小鹿谷)梶屋神社(橋津村下橋津)宮本神社(橋津村上橋津)灘郷神社(泊村泊)松神神社(下北条村松神)田村神社(下北条村島)三輪神社(下北条村土下)船内神社(上北条村下古川)金刀比羅神社(由良町由良宿)神郷神社(上郷村大杉)


 

第2次(紀元前160年頃)の降臨神が祀られている神社


 瓊瓊杵尊は日向(葦原中津国)のクシフルタケ(北栄町の亀谷丘陵の大宮神社)に天降った。


(1)瓊瓊杵尊 上里神社(日下村清谷)矢送神社(矢送村山口)楯縫神社(高城村上福田)大宮神社(栄村上種)三輪山(下北条村下神)照国神社(下郷村美好)


(2)木花之佐久夜毘売 笏賀神社(旭村笏賀)松尾神社(花見村野花)国府神社(社村国府)亀谷神社(栄村亀谷)松神神社(下北条村松神)高江神社境内社(由良町由良宿)麻布神社(古布庄村古長)大正神社(古布庄村中津原)


(3)猿田彦 山根神社(西郷村山根)幸能鶴神社(竹田村穴鴨)小鹿神社(小鹿村東小鹿)中津神社(小鹿村中津)東郷神社(東郷村小鹿谷)梶屋神社(橋津村下橋津)宮本神社(橋津村上橋津)灘郷神社(泊村泊)松神神社(下北条村松神)田村神社(下北条村島)三輪神社(下北条村土下)船内神社(上北条村下古川)金刀比羅神社(由良町由良宿)神郷神社(上郷村大杉)

 

国を譲った「鴨族神」が祀られている神社


(1)大国主 大宮神社(三朝村大瀬)三朝神社(三朝村三朝)坂本神社(三徳村坂本)小鹿神社(小鹿村東小鹿)神倉神社(小鹿村神倉)東郷神社(東郷村小鹿谷)松尾神社(花見村野花)国主神社(舎人村北福)小鴨神社(小鴨村大宮)長坂神社(小鴨村東鴨)上小鴨神社(小鴨村鴨河内)広瀬神社(上小鴨村広瀬)日吉神社(矢送村関金)山守神社(山守村今西)山長神社(北谷村森)横田神社(社村横田)服部神社(高城村服部)尾原神社(灘手村尾原)三輪神社(下北条村土下)金刀比羅神社(由良町由良宿)大宮神社(栄村上種)亀谷神社(栄村亀谷)照国神社(下郷村美好)長田神社(下郷村光好)天乃神奈斐神社(赤崎町赤崎)中山神社(上中山村東積)


(2)事代主 波波伎神社(日下村福庭)松尾神社(花見村野花)国主神社(舎人村北福)楯縫神社(高城村上福田)福積神社(高城村福積)西園(大誠村西園)亀谷神社(栄村亀谷)倉坂神社(上郷村倉坂)福留神社(赤崎町赤崎)松谷神社(赤崎町松谷)亀崎神社(赤崎町東松谷)大石神社(成美村勝田)前原神社(安田村八幡)


(3)健御名方命 波波伎神社(日下村福庭)小鴨神社(小鴨村大宮)上古川神社(上小鴨村上古川)湯関神社(矢送村関金)諏訪神社(八橋町八橋)


(4)下照姫(高姫) 波波伎神社(日下村福庭)倭文神社(北谷村志津)


(5)天稚彦命 波波伎神社(日下村福庭)矢野宮神社(灘手村寺谷)


(6)阿遅鋤高日子根神(別雷神) 賀茂神社(旭村森)今泉神社(旭村今泉)波波伎神社(日下村福庭)松尾神社(花見村野花)賀茂神社(倉吉町葵町)楯縫神社(高城村上福田)大宮神社(栄村上種)

 

 私 見

月読命は鳥取県琴浦町槻下(月下)に降臨した。豊受姫も槻下に降臨したと推定したが、鳥取県神社誌の鳥取県中部の神社に両者とも祭神になっていない。なぜだろうか。宇迦之御魂命は須勢理姫でありながら稲荷神とされていた。それでは、倉稲魂命や保食神も稲荷神とされているが、実は女神だったのではないか。


倉稲魂命は読みも「うがのみたま」という読みにされており、宇迦之御魂命と同一神であるという説もあるが、「花園稲荷神社(忍岡稲荷)の祭神は倉稲魂命又の御名は豊受姫命(伊勢の外宮の大神)ともいう」とする。「延喜式大殿祭祝詞註にも、倉稲魂命は豊宇気比売神と同神とする」とある。倉稲魂命は豊受姫命(伊勢の外宮の大神)の別名であった。


また、月読命は保食神を殺した。保食神と関係が深いのは月読命である。保食神を殺したから月読命は保食神になった。詭弁である。神社の祭神で保食神とあるのは月読命の別名である。月読命は女性であり天照大神は男性であった。


最初の天照大神の降臨(紀元前185年頃)から事代主と百八十神の国譲り(紀元前160年頃)まで事代主と百八十神の子供たちが成長するのを待っていた。葦原中津国(北栄町大島周辺)が譲られるまで瓊瓊杵尊は楯縫神社で待っていた。


 

福岡県に下照姫神社があり、穂波という地名があるのは、伯耆国にいた山上憶良が作ったものである。穂波とは波の穂を逆さに言ったものであり、波打ち際であったことを示している。鳥取県北栄町の穂波は今でも海抜4mくらいである。縄文海進の時代に福岡県の穂波は波打ち際であったとは思われない。

 

次週に続きます

 

出典

高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説  
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/

佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説
古事記・日本書紀の高天原は岡山県真庭市の蒜山である、とする。
田村誠一氏、vetty氏の天孫降臨地=伯耆国説
http://ysaino11.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

 

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