大化改新 談山神社 藤原姓
飛鳥路の石舞台の前を通り「南北朝時代の北朝」があった吉野町へ
事前に地図を確認して行ったが曲がりくねった「ベタ踏み坂」の連続
下りに入った所に「談山神社駐車場」があった。普通車が12台
コミュニティバスも入っていた。だが事前に調べた駐車場は下り坂に
入る右側だった。そこを左に入る案内になっていた この駐車場より
100m以上手前のはず 下ってきた坂を引き返したが 左に入るように
なっている看板がない もちろん「ナビ」には表示がない
「勘」で山道に入り込んだ 「信貴山奥の院」のように山道は曲がり
くねり急な下り坂になってきた。道が左右に分かれる 正面に
「女人禁制」 明治元年に解除されたと記された石版があった
右に曲がり急な下り坂を恐る恐る下りて行くと 談山寺西入口があった
境内に車を入れて拝観料を支払入山した ヽ(;´Д`ヽ)(ノ;´Д`)ノ
急なカーブ 坂道の連続 ナビにも出ない山道 手は冷汗で
首筋も ('◇')ゞ で 外気は2℃だというのに (@Д@;
御祭神 藤原鎌足公 HPより
舒明・皇極二代の天皇の世、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は極まって、
国の政治をほしいままにしていました。
この時、中臣鎌子(後の藤原鎌足公)は強い志を抱いて、国家の正しい
あり方を考えていました。
たまたま飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)で蹴鞠会(けまりえ)があったとき、
聡明な皇太子として知られていた中大兄皇子(後の天智天皇)に
まみえることができ、西暦645年の5月、二人は多武峰(とうのみね)の
山中に登って、「大化改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の起こりと
なり、ここに鎌足公は真の日本国を発想し、日本国が世界に誇る国家
となるため、一生涯を国政に尽くしました。
天智天皇8年(669)10月、鎌足公の病が重いことを知った天智天皇は、
みずから病床を見舞い、大織冠(たいしょくかん)を授けて内大臣に任じ
藤原の姓を賜りました。 藤原の姓はここに始まります。
蹴鞠が行われる広場のすぐ後ろに十三重塔があるのですが
これは鎌足の死後、摂津阿威山に葬られていた亡骸をここ、
多武峰に移して建てられたお墓で、678年に完成しました。
しかし戦火に焼け落ち、写真の十三重塔は1532年の再建です
この塔は現存唯一の十三重塔(重文)だそうです。
明治33年の最高額面のお札には藤原(中臣)鎌足と この
十三重塔が描かれております
東宝殿
拝殿下の鳥居をくぐると、恋神社へと続く「恋の道」があります。
古来より縁結び信仰があり、縁結びの神として祀られている
鏡女王(かがみのおおきみ)は、万葉の歌人・額田王
(ぬかたのおおきみ)の姉であり、情熱的な恋の歌を残した
歌人です。鏡女王は、藤原鎌足の妻であり、不比等の生母と
伝えられています。女性として幸せな一生を送ったことから、
いつしか恋神社と呼ばれるようになったそうです。
恋神社
願い石
桜門
本殿
中臣鎌足像
大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺、信貴山朝護孫子寺
當麻寺中之坊、安倍文殊院、おふさ観音、談山神社、久米寺)
の一つに数えられる。
春は桜 秋は紅葉 年中花がある神社だそうです
車をバス停留場の有る駐車場に止めれば相当キツイ登坂
が待っている。また正面鳥居から入山すれば見上げるような
階段が待っている だが参道沿いの風景が楽しめるが・・
車を乗り入れるには第五駐車場が一番よさそうだ
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