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2014年2月20日 (木)

出雲霊場 御朱印集め

2月7日 例によって 「ヤリイカ(手無し)」爆釣メール 嘘と分りつつ

小生も魚釣り禁断症状 ついに出かけたが連日の暴風雪

常連も「ヤリイカ」どころか美保湾に何個の仕掛けを投げ入れた

かの「なげやりイカ」釣り大会 小生も仲間に名を連ねた

来る日も来る日も 当たり 0 釣果でなく当たりなしで帰る

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

14日バレンタインデー 荒天の為テレビでオリンピックを見ていれば

長女から 暇なら出雲霊場の御朱印を集めてほしいと依頼された 

チョコレートもなしに    .+:。(・ω・)b゚.+:。

長女の御朱印帳を見た 出雲大社・熊野大社・八重垣神社・神魂神社

美保神社・等 主な神社は収集済みだった 残りはどこがあるのか

PCで調べて計画を立てた 宍道町菅原の天神さん・須佐神社・

長濱神社・日御碕神社・鰐渕寺・一畑薬師寺・佐太神社・月照寺

売布神社・華厳寺・三刀屋の峯寺・清水寺・大山寺・大神神社

これは一日ではとても無理だ 二回に分けないと (。>0<。)

(御朱印の日付が違うのはPCからの転載です) 

先ず宍道町菅原の天神さんへ

ここは小生のホームグランド 玉造温泉カントリークラブの奥にある

夏は「蛍」が沢山乱舞するきれいな小川がある

菅原道真公の誕生の地と言われる、島根県宍道町菅原にあります。「鼻繰御神梅」「野見宿禰の墳墓」など古来からの言い伝えがあり 道真公の父となる、是善卿が、出雲の国庁に御在任した時、祖先の野見宿禰(のみのすくね)のお墓を尋ねようと、当地、菅原の里(当時は山田村とい呼ばれた)に向かった。そこで、案内をした乙女を気に入り、国庁で召し抱えるも、任期満了後、是善卿は帰京してしまう。既に懐妊した乙女は、菅原の地に戻り、玉の御子を出産する。後に大阪府藤井寺市土師ノ里道明寺で育ち教育を受ける なお道明は道真の号です 土師姓は野見宿禰のことであるDscn0715

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相撲の祖 野見宿禰 (のみのすくね)の墓Dscn0716

なぜか山道麓に「ゴリラ」が・・・(´~`)。゜○オワタ┗(^o^ )┓三
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54号線に出て広島方面へ 掛合の手前から右折 山道に入る

竜頭の滝を超え雪道を山越えで走ると右に道路標識があった」 

須佐神社

『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。
社家の須佐氏は、須佐之男命の子の八島篠命を祖とすると伝える。

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出雲市内から国道9号線で長濱工業団地に向かい右折出雲大社方面へ

左に大きな案内標識が見える

長濱神社
国引き神話の主人公である八束水臣津野命(やつかみずおみつの)を主祭神とし、布帝耳命(ふてみみ)・淤美豆奴命(おみずぬ)を配神として祀る。
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出雲大社を左折海岸通りに出て日御碕を目指す やはり海は大荒れ

道路から下に 日御碕神社が見えた

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日御碕神社
楼門から正面には下の宮「日沈宮(ひしずみのみや)」があります。
こちらは神話の中で素盞嗚尊の姉とされる天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀られています。 この「日沈宮」は【伊勢大神宮は日の本の昼の守り、出雲の日御碕清江の浜に日沈宮を建て日の本の夜を守らん】
(伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守る」) との神勅により祀ったのが始まりと言われています。当初はこの言葉通り、この場所から程近い海岸(清江の浜)の経島(ふみしま)で天照大御神を奉斎していましたが、その後天葺根命が経島にいかれた時、天照大神が降臨し「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅があり、現在の地に大御神を祭られたということです。

建物の朱色の塗料が風化して薄くなり塗料を塗るための工事中だった

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日御碕神社を出て出雲大社方面に戻ると途中に

「鰐渕寺(がくえんじ)」の案内があった。左折して細い山道に

入り込んだ  しばらく行くと左が海右は山 険しい山道になる

山を下りたところに韓竈神社(からかまじんじゃ)の道路標識が

あった 昨年3度平田方面から入り探したが見つけることが

出来なかった神社だ キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)

この神社は鳥取県三朝町の「三徳山投げ入れ堂」と並んで

日本3大「参拝難所霊場」と書いてある

駐車場に入り山道を300mほど歩けば右に鳥居が見える
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鳥居の右横には「杖」が置いてある 前方は梯子のような参道

魚釣り用のスパイクが付いた長靴に履き替え正解だった

普通の靴なら初めから入れないほど急こう配

右側にはロープが張られている 左手に杖 右手にロープ

御朱印帳を入れたバックは首にかけ滑る山石の雪道を登る
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道中倒木があったり大きな岩に阻まれたり・・・(σ・∀・)σゲッツ

30分も歩いただろうか木の上から雪がドサっと落ちてきたり

最後は岩の割れ目をくぐれという (||li`ω゚∞) 幅40cm

小生の腹は・・息を止め爪先立ちで腹をこすり

潜り抜けた 。*((艸д・。`*)゜*。
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岩を潜り抜けたところに小さな社があった 手前には1mを超す

「つらら」が待ち構えていた他 何もない御朱印はどこ(;ω;)
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韓竈神社の歴史
「出雲国風土記」には『韓銍社(からかまのやしろ)』延喜式には韓竈神社『』と記載されています。江戸時代には、『智那尾権現(ちおごんげん)』と呼ばれていました。祭神の素盞嗚命が新羅(しらぎ)に渡られ、わが国に「植林法」やタタラ製法、鍛冶技術などの「鉄器文化」を伝えられたとされ、カラカマのカマは、溶鉱炉を意味するとも言われています。また、この神社より奥は古くから産銅地帯といわれ、金掘り地区の地名や自然銅野タタラ跡もあり、鉄器文化の開拓と深い関係がうかがわれます
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何冊ものノートがあり今までの参拝者が感想を綴っていた が

御朱印は ・・・・どこで頂けるのだ どこにも案内がないDscn0749 

山石の凍った参道を 登るより怖い思いで下山した (´-д-`)

駐車場の前の家で御朱印の事を聞いてみようと庭先に入ったが

留守だった 玄関口に「鹿の角」が4組干されていた 

北山山系は最近鹿が増えすぎ 食害が激しいらしい

諦めて鰐淵寺へ向かった ここは紅葉が有名で何度も訪れている
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入山料を払い御朱印をお願いして境内に入った

冬の鰐渕寺は初めてだが紅葉の時とは別のお寺のようだった

住職は 大阪は10cmほどの雪で高速道路は完全閉鎖らしいと

話しかけてきた 小生の言葉を大阪弁と分ったらしい

ここは武蔵坊弁慶が大山寺の鐘を担いでここに持ってきた話も

有名ですと案内して記念にと写真まで撮ってくれた
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弁慶が運んだという鐘
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鰐淵寺(がくえんじ)
伝承によれば、推古2年(594年)信濃国の智春上人(ちしゅんしょうにん)が遊化して出雲市の旅伏山(たぶしさん)に着き、推古天皇の眼の病を治すために当地の浮浪の滝祈ったところ平癒されたので、その報賽(ほうさい)として建立された勅願寺であるということです。この鰐淵寺(がくえんじ)という名前ですが、智春上人が浮浪の滝のほとりで修行をしている時に誤って滝壺に落としてしまった仏器を、鰐(わにざめ)がその鰓(えら)に引っ掛けて奉げたことから“浮浪山鰐淵寺”と称するようになったということですDscn0762

帰りに御朱印帳を受け取り 無駄だと思ったが韓竈神社の御朱印は

どこでもらえるか尋ねた この雪の中参拝されたのですか

携帯電話もつながらない山奥 冬に参拝する人はいませんよ

あきれた顔だった だが麓のコミュニテーセンターでもらえると

教えられた 何の案内もないので韓竈神社をお参りしても

御朱印を頂ける人は殆どいないらしい PCで探しても出てこない

貴重な御朱印だ 小生も公開しないでおこう

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山道を走ること30分一畑寺に着いた ここは金毘羅さんほどではないが

長い階段の参道がある神社で有名だ 階段マラソンもある

駐車場までもキツイ登坂 車はアクセル「ベタふみ」 到着しても階段を

登る元気はない 今日は全部で何段の階段を上ったか 足が 足が

左を見れば道路がある「一畑コテージ」の看板が 車から降りることなく

その道路を登って行った 駐車場があった コテージがあった

本堂があった  キタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)Dscn0768

一畑寺
、平安時代の寛平6(894)年、漁師の与市が、日本海の赤浦海中から引き上げた薬師如来像を本尊とし、医王寺として創建したことが起こりである(与市は、出家して補然和尚となり、当寺開基となった)。当初は天台宗だったが、正中2(1325)年、石雲本竺が臨済宗南禅寺派寺院として再興し、寺号を成徳寺と改める。
時代下って、江戸時代の承応2年(1653)に一畑寺と改められると、江戸中期の寛政2年(1790)には、臨済宗妙心寺派に転属した。戦後の昭和28年(1953)には、一畑寺を総本山とする宗教法人一畑薬師教団が設立されている。Dscn0765

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あとは後日に  今年一番疲れた日になった

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;

       猫好きの方必見    


島根県松江市東出雲に住む小生の長女は猫好きが高じて

 ”猫の首輪”や関連商品の販売を始めた

Atelier Mew (アトリエミュー ) 本社
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構内に有る ミニチュア庭園
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このブログの右袖 一番下にリンクが貼ってあります

 
http://nekos.ocnk.net/20130512_5b2691          
https://ja-jp.facebook.com/NekosbyAtelierMew

                

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