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2019年5月23日 (木)

平城京ー21ならまち・元興寺

5月23日の誕生花  ゴデチア

花言葉:     変わらぬ熱愛
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平城京

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元興寺  奈良市中院町11番地  TEL:0742-23-1377
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奈良の猿沢池から「通称ならまち」を通り元興寺へ向かうと、

車のすれ違いが出来ない程の小道に江戸時代以降の町屋

が数多く 軒を連らねています。

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「ならまち」は、昔ながらの風情を残し 細い路地を抜けたり

道が交差する町で 元興寺の旧門前町の趣が残ります。

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  旧 元興寺 金堂跡付近
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     金堂の礎石も商家に展示されていました
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 独特な ならまち格子の古民家
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   道角には 道標も残っていました
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旧門前町の小道は直進でなく所々曲がりくねってます。
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曲がりくねった道路わきに地蔵尊でなく、薬師如来を祀った

お社が有りました。この界隈は漢方薬店も多くあります
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   奈良町通りの道祖神
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元興寺「東門」は、世界遺産「元興寺」の現在の正門として

本堂(極楽堂)」の正面に美しく見渡すように建っています。
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この門は、かつて存在した東大寺塔頭「西南院」の山門で

あったものを、室町時代の応永年間に元興寺極楽坊の正門

として移築された。門自体は鎌倉時代らしい雰囲気の漂う

重厚な建築となっています。

  東門(重要文化財)
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東門の前は駐車場になっていて東門左に拝観受付と御朱印

受付が有ります。御朱印帳を預け「番号札」を頂き帰りに受け

取るようになっていました
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元興寺は、蘇我馬子が明日香村に建立した日本最古の

本格的寺院の飛鳥寺を、平城京遷都のときに移したお寺。

   現在も明日香村に たたずむ「飛鳥寺」本堂
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飛鳥寺本堂に安置されている日本最古の大仏 本尊 飛鳥大仏
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...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

創建当時は今の「ならまち」のほとんどが境内であったほど

の大寺院で、南都七大寺の1つでした。しかし平安時代の

中ごろから次第に衰退。浄土教が広がるにつれて、浄土

曼荼羅(重要文化財智光曼荼羅)を安置していた極楽坊が

寺の中心になってきました。
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鎌倉時代いまの本堂と禅室が改造され、そこで営まれて

いた念仏講がさらに発展し庶民の信仰の場となりました。

宝徳3年(1451年・室町時代中期)土一揆で金堂と小塔院を

焼失、江戸時代末期には五重塔なども焼け、いまの本堂と

禅室だけになりました。屋根の一部に残る飛鳥寺から移した

瓦の行基葺きや、奈良時代につくられたといわれる国宝

五重小塔は、奈良時代の建築様式を知る貴重な資料です。

現在の元興寺境内図            


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東門から入れば正面に本堂が有ります     

元興寺本堂(極楽堂)の歴史は、鎌倉時代の寛元2年

(1244年)に僧坊(東室南階大房)として使用されていた

建物の一部で正面の柱の間が6間となっており、お堂の

正面中央に柱が見られるような様式になっている


 元興寺極楽坊 本堂
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内部は板敷きの内陣の周囲を畳敷きの外陣がぐるりと囲

んでおり、内陣の周囲を念仏を唱えながら歩き回る「行道」

に適した構造になっている。
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内陣の周囲には智光曼荼羅(ちこうまんだら)(重文)吊るさ

れています。「智光曼荼羅」は 奈良時代の元興寺におられた

「智光」と呼ばれる僧侶が夢を見る中で感得された「極楽

浄土」の風景を描いた図像です。この智光曼荼羅は、「当麻

曼荼羅」・「清海曼荼羅」と並び「浄土三曼荼羅」と称される

有名な存在であり、奈良時代にその「原本」として生み出され

たものは、火災により失われてしまったとされていますが、

現在は平安時代の終わりもしくは鎌倉時代などに描かれたと

される「板絵智光曼荼羅」、また室町時代の作である

「厨子入智光曼荼羅」、「軸装智光曼荼羅」が残されています。
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本堂の建物は鎌倉時代の寛元2年(1244年)、旧僧房の東端

部分を改造したもので、内陣周囲の太い角柱や天井板材

には奈良時代の部材が再用されている。
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日本最古の本堂西面の屋根瓦には、「飛鳥時代」の瓦が

現役で使用されており、それ以降の瓦とは明らかに違う質感

を感じさせる存在となっています
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本堂 北側屋根 蓮華紋の鐙瓦。     
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本堂の西側に位置する長細い建物「禅室」はかつては本堂

と同じ僧坊の一部でしたが、僧坊を現在の本堂の建物へ

改造する際に、2つの建物に分離する形でこちらも改造が

行われました。
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元興寺文化財研究所の研究成果によると、使用されている

木材には世界最古の木造建築である法隆寺で使用されて

いる木材よりも更に古い木材を使用している

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 右 本堂 左 禅室
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禅室の前に小子房(旧庫裏) 元禅室の北側にあります。

東室南階小子房の一部を改築して、北厨房あるいは台所と

称された。寛永三年(1663)極楽院庫裏として改築された

が昭和24年本堂の南側に移転増築して極楽院保育所建物

とし、さらに昭和35年(1960)現位置に移動して復旧された。
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小子坊入り口 
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小子坊入り口の前を西に行けば茶室が有ります
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その前には浮田図があります。 元興寺を拝観する中での

最大の見どころの一つとも言える圧巻の石仏・石塔群である

「浮図田」。こちらは鎌倉時代~江戸時代にかけての石仏・

石塔などを昭和になってから一か所に集める形で整備された

ものです。
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浮図田(ふとでん) 多くの供養仏塔が並べられてます。
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石仏群(浮図田) 板碑五輪塔を中心とした供養塔、阿弥陀

仏地蔵尊等の石仏類からなり、鎌倉時代末期から江戸時代

中期のものが多い。中世紀に当寺や興福寺大乗院関係の

人々、近在の人達が浄土往生を願って、極楽坊周辺に減罪

積徳作善のため造立した供養仏塔である。
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浮図田の南側には小さな「弁天社」が有ります
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法輪館(総合収蔵庫) 堂の南側、浮図田のすぐ近くには

元興寺が所蔵する国宝・重要文化財などの大半を収蔵・

展示する「法輪館(総合収蔵庫)」があります。

内部では小さな五重塔を精巧に再現し、ミニチュアながら

「建造物」として国宝指定を受ける「五重小塔」をはじめ、

中世以降の「庶民信仰」の拠点として栄えた時代を物語る

仏像や史料も安置・展示されています。

 法輪館入り口
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綜合収蔵庫に入ると中央に国宝の五重小塔 (奈良時代)

が有ります。高さ5.5mあり、瓦や組物を精密に表現したもの

で、一見塔の模型のように見える。平安時代、鎌倉時代など

6回の修理が行われ、特に最後の昭和42,43年(1967,8年)

に際してほぼ当初の形に復元された。塔の内部には昭和

40年(1965)にスリランカよりもたらされた舎利(仏舎利)

が納められている
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五重小塔の前左には 【十一面観音菩薩立像(重文)」木造 

(鎌倉時代13世紀)が祀られています。

左手に華瓶(けびよう)を握り、下げた右手に錫杖(亡失)を

執る長谷寺式の十一面観音立像。左耳上の頭上面は奈良

時代末~平安時代初期制作の乾漆造。本像の作風は鎌倉

時代前・中期に南都を中心に活動の知られる仏師善円の

作風にきわめて近い。

五重小塔の前右には  「薬師如来立像(国宝)」 木造 

(平安時代作)が安置されています。羅髪や両手首先を除き

台座の蓮肉部までカヤの木の一材から彫成されています。

   十一面観音菩薩立像       薬師如来立像 

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   館内には数多くの仏像が安置されていました。

 以下主なものを紹介します。

木造彫眼 阿弥陀如来像 (平安時代) 阿弥陀如来は西方

十万億劫土の極楽世界で現在も説法を続けているとされ、

無量寿仏・無量光仏とも呼ばれます。カヤとみられる材を

⊥字形に組んで、一木から彫り、部分的に厚手に塑土を

塗って調整して金箔を押しています。

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寄木造玉眼 南無仏太子像 鎌倉時代

平安時代に記された聖徳太子の伝記では太子2歳の2月15日

乳母の手から離れ、東を向いて南無仏と唱え、7歳まで続け

たといいます。合掌した手の中から釈尊の左眼舎利が出現

したといわれ、法隆寺舎利殿にはその御舎利が祀られている

といいます。和国の教主といわれた太子の仏教者としての

誕生と舎利信仰が結びついた造像なのでしょう。2歳児として

の子供らしさと、聖なる賢者たる理知的な面相がいかんなく

表現されています。

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寄木造玉眼 聖徳太子立像  文永5(1268)年

聖徳太子は観音の化身・極楽引接の先達とする信仰は、

太子の一代記を生み出し、その形姿の源泉となってきました。

本像は孝養像と呼ばれるもので、太子16歳の時、父用明

天皇の病気平癒を祈る姿だといいます。髪を美豆良に結った

青年太子は朱色の袍に腰衣を着け、七条遠山袈裟と横被を

搭けて、右手で柄香炉を持ち左手をそえて、小指で横被を

とめています。元興寺は「聖徳太子四十六ヶ伽藍之随一也」

とする考えが成立し、南都の律僧達が太子信仰に拠って極楽

坊をその拠点としたことが太子像造立の契機でした。

文永5年、仏師善春等によって作られ、眼清ら僧俗約5千人

による勧進結縁 で出来あがった事情が像内納入品によって

明らかにされています。

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木造彫眼 聖観音菩薩立像  平安時代後期

観音菩薩(観自在菩薩)とは光世音菩薩とも称します。

菩薩とは「悟りを求めて実践する人」を意味し、大乗仏教では

大切な考え方とされます。その姿は出家前の釈迦から生まれ

主に蓮花をもってその象徴とします。

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木造玉眼 不動明王坐像 江戸時代

不動明王は梵名アチャラタナータ、無動尊とも呼びます。

五大明王・八大明王の主尊でもあります。堅固不動の菩提

心をあらわします。利剣と羂索を持って火生三昧に住し、

煩悩・災難を降伏する意味を象徴しています。

本像は、生駒山宝山寺中興開山、湛海律師の作風に通じる

1体とみられます。湛海和上は密教図像を忠実に写し、

精神的高揚の中で彫刻・作画しました。江戸時代の仏像彫刻

では特出すべき作例を遺しています。

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木造彫眼 不動明王立像  鎌倉時代初期

不動明王とは大日如来の使者であると同時に、大日如来と

同体の行者の象徴でもあります。その姿はインド土着の民族

に起源するとされて何種類かに分類されます。本像は、平安

時代の飛鳥寺玄朝(源朝)が記した粉本図様に近い細身な

形姿であり、繊細な切金文様などおだやかさが残っています。

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木造彫眼 毘沙門天立像 (鎌倉時代初期) 毘沙門天は

仏教擁護の四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)を

総括して多聞天の別称があります。一般に宝塔を捧げる

武身であらわされます。右手を腰に当てる姿が、5体(5輪)

すなわち宝塔を捧げるに等しいとされています。

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木造玉眼 薬師如来坐像  鎌倉時代中期

薬師如来は、東方瑠璃光浄土で説法する過去仏とされ、

医王如来とも呼ばれます。一般には左手に病を癒すための

薬壺を象徴的に持っていますが、持たない像もあります。

本像は、通形でありますが、衲衣が右肘までかかり、足裏

までおおわれています。また、光背裏には木彫の宝楼閣で

瑠璃光浄土を表しています。着衣の彫りは深く、寄木造りで

親しみやすい阿弥陀様(快慶の一門)です。

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木造玉眼 如意輪観音像 鎌倉時代末期

さまざまな観音菩薩の中でも如意輪観音は仏教的・密教的

な観音です。如意宝珠の功徳と輪宝の威力で、一切衆生の

世間財と出世間財を満足せしめる観音の象徴となっています

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木造 司録坐像 室町時代

官服をまとい、書巻を開き読む態を示しています。冥界への

罪状認否を行うさまです。宿院仏師の作。

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木造玉眼 地蔵菩薩立像  天文15(1546)年

地蔵菩薩は弥勒仏の出現までの末法無仏の間に、衆生を

済度する菩薩として僧形の姿であらわれます。中世の南都

では、春日社第三神(天児屋根命)の本地仏としても盛んに

信仰され造立されました。本像は、地蔵に通例の錫杖・宝珠

を持たず その先例は興福寺や矢田寺地蔵尊にあります。

本像の作者は、室町時代に仏師になった「定正」の作です。

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木造 弁才天坐像 江戸時代

インドのサラスバティー河を神格化したもので農業神として

尊崇されました。我国では音楽の神・福徳神としても信仰

されています。真言宗寺院では勧請鎮守とすることが多い。

禅室南側に池の在った時期に中島に祀られていた。

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木造玉眼 弘法大師坐像(鎌倉時代)

弘法大師空海は、延暦14年(795)、東大寺戒壇において

元興寺泰信和上を戒師とし大安寺勤操の弟子として具足戒

(比丘となる)を受けています。元興寺は泰範や仲継、護命

僧正など空海と関係深い学僧がいました。

空海は唐・青龍寺に留学して恵果阿闍梨から密教を相承

して第8祖となりましたが、平安時代後期には真言宗宗祖と

して信仰されはじめ、鎌倉期の400年遠忌から単独の祖師

像が造立されるようになります。本像もその頃の作で願主

珠禅の願文によれば、大師の哀愍によって後生に兜率天

(弥勒仏の浄土)に往生したいと述べています。弘法大師像

は単なる祖師像ではなく、弥勒仏としても祀られています。

像内には理趣経が朱書きされ、数多くの納入品が発見され

ました。全国に数多くある大師像中の白眉とされます。 

弘法大師像
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1・2階の拝観を終えて三階の常設総合収蔵庫を見学します

新・旧の境内から発掘された土器・瓦 また旧建築素材・

様式などが分かる品々が展示されています
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法輪館(総合収蔵庫)の正面には、かつての「巨大寺院」

時代に存在した建物である「講堂」跡の礎石が置かれて

います。直径1メートルを超える礎石が重厚感があり、

往時の規模が偲ばれるものとなっています。

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境内右側(本堂の右)にかえる石 豊臣秀吉の「お気に入り

の石」とされ、大阪城の敷地に長らく置かれてきた一方で、

「殺生石」と呼ばれたり「淀君の霊」がこもる不吉な石としての

伝説も有する奇石「かえる石」が昭和中期以降 元興寺の

境内に置かれており、現在は「福かえる」といったような

「幸運」をもたらす石としてお祀りされています。

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出展
『元興寺ほか』 〈週刊朝日百科・日本の国宝58号〉
『元興寺・元興寺極楽坊・般若寺・十輪院』 岩波書店
岩城隆利 『元興寺の歴史』 吉川弘文館 1999 岩城編
『元興寺編年史料 増補』
『元興寺文化財研究所創立40周年記念論文集』
ウィキペディア

外部リンク
ウィキメディア・コモンズ
元興寺HP
元興寺文化財研究所

猫好きの方必見

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