京都 槇尾山 西明寺
11月7日の誕生花 ワレモコウ (吾亦紅)
花言葉: 感謝、 変化
京都西北の山間地、栂尾(とがのお)・槇尾(まきのお)
高雄(高尾/たかお)を合わせて、三尾といいます。
高山寺の拝観を終えて国道を下山し途中から標識に従って右折
「清滝川」左岸に出る。清滝川左岸を歩くと西明寺の案内が
有ります。
清滝川に架かる朱に塗られた指月橋(しげつきょう)の前の
石標には「槙尾山聖天堂(まきのおさん せいてんどう)」の
文字が刻まれています。聖天堂とは、このお寺の境内にある
夫婦和合の神様である歓喜天(かんぎてん)を祀るお堂です。
指月橋を渡ると左に参道があります。
参道途中に「大界外相(俗世間と聖域の境界線(結界)のこと)」
の文字が彫られた石碑がありました。
お寺の表門の前には沢山の石灯籠が置かれています。
表門は1700年に建てられた、京都の有形指定文化財です。
まだ元気な 表門前の小生
表門前に立てられている五重の石塔。
表門を通って境内に入ります。
西明寺(さいみょうじ)は、京都市右京区にある真言宗大覚寺派の寺院。山号は槇尾山(まきのおさん)、本尊は釈迦如来。
京都市街の北西、周山街道から清滝川を渡った対岸の山腹に位置する。周山街道沿いの高雄山神護寺、栂尾山高山寺とともに三尾(さんび)の名刹として知られる。
平安時代の天長年間(824~834)に、弘法大師(空海)の高弟の智泉大徳によって、戒律道場として開かれました。若い僧が修行する上で必要となる静寂な環境を現在でも大切にしている山寺です。平安時代の末期に荒廃しましたが、鎌倉時代の建治年間(1275~1278)に我宝自性上人が中興し、本堂、経蔵、宝塔、鎮守などが建てられました。また、正応三年(1290)に平等心王院の号を後宇多法皇より命名賜り、神護寺より独立しました。戦国時代の永禄年間(1558~1570)に兵火にあって焼亡しましたが、慶長七年(1602)に俊正明忍律師により再興されました。現在の本堂は元禄十三年(1700)に桂昌院の寄進によって再建された建物です。
境内図
表門を入って右手にある建物が 元禄時代造営の建造物の
聖天堂(せいてんどう)です拝殿前に白幕が掛けられており、
お供え物の大根と御団の紋が染められている。大根は夫婦和合
家庭円満を表し、金運授与・商売繁盛をご利益として授ける
歓喜天の誓願を表している。
聖天堂(せいてんどう)には、夫婦和合の神様である歓喜天
(かんぎてん)が祀られています。
境内の真ん中に植えられているご神木の”高野槙(こうやまき)です。
樹齢は700年以上で、日本最古の高野槙の木と言われています。
石碑にはこのお寺の復興の祖である「我宝自性上人」
(がほうじしょうしょうにん)によって詠まれた和歌が刻まれています。
左には梵鐘があります。元禄時代造営の建造物で、月潭道澄
(1636~1713)の銘文が刻まれている。時を告げる鐘として、
毎朝・毎夕に打ち鳴らされます。
本堂は元禄十三年(1700)に桂昌院(五代将軍・徳川綱吉の生母)
の寄進によって再建された。
正面入口の梁上に霊山鷲心(空海筆)の扁額が掲げられている
本堂の正面に行くと大きな張り紙の案内がありました。
庫裏の玄関のインターホーンで参拝と御朱印のお願いをしました
住職が渡り廊下で本堂に来られた。
靴を脱ぎ本堂に上がり左入口から本堂内に入った。
本堂に入った左側に座られた住職に 堂内の拝観と御朱印を
お願いし料金を支払い簡単な説明を受けご本尊の前に向かった。
中央間が内陣で、両横の脇陣が外陣の役割を果たしており、
真言宗寺院の本堂としては特異な平面構造となっている
本堂の内陣には、正面の須弥壇上に仏師・運慶によって彫られた
本尊・釈迦如来像が祀られている。
本堂の東の脇陣には、西明寺で一番古い仏像である。
千手観世音菩薩像が祀られている。母親の慈悲深い姿を現わして
いる菩薩像である。古歌「世の中に 思ひはあれど 子を思ふ
思ひにまさる 思ひやはある」に歌われているように、母親の
我が子を思う強い思いを以て、観音は人々をあの手・この手と
使って救って下さると信じられています。
愛染明王像
拝観を終えて しばし住職とお話させていただいた。小生の
最初の質問は「千手観世音菩薩像」が素晴らしい 何故本尊
ではないのか と 住職も同じ考えです と答えられた。
20分ほど話をして御朱印を返していただき退室した。
本堂の横に建てられている客殿は本堂左後方と短い渡り廊下で
結ばれている。造営は本堂より古く、江戸時代前期に移築された。
当時は食堂と称して、僧侶の生活や戒律の道場として使用されて
いた。前列二室、後列三室からなっており、前列南室には九ヶ条
からなる「平等心王院僧制」の木札が掲げられている。
境内風景 境内を抜けて裏口から清滝川に向かいました。
出典
『日本歴史地名大系 京都市の地名』『国史大辞典』6巻、p.226
ウィキペディア
『日本歴史地名大系 京都市の地名』、平凡社、1979
毎日新聞社編『仏像めぐりの旅 5 京都(洛北・洛西・洛南)』
『国史大辞典』、吉川弘文館
ウィキメディア・コモンズ
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