出雲 須佐之男命-1 須佐神社
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最後に顔を洗ったときに三貴子と呼ぶべき尊い神様が誕生します。左目を洗ったときにアマテラス、右目を洗ったときにツクヨミ、鼻を洗ったときにスサノオが誕生したのでした。スサノオは海原を統治するように命じられますが、全く言う事を聞かず、母に会いに根の国へ行きたいと泣いてばかり。愛想を尽かせたイザナギは根の国(日本)へ行くことを命じたのでした。
日本初の和歌を詠んだり、木の用途を定めたりなど文化英雄的な側面もある。これは多数の伝承をまとめて一つの話にしたためとする説もある。また、前述の『日本書紀』における新羅の曽尸茂梨に降りたという記述から、元々は新羅の神ではないかという指摘もある。
神名の「スサ」は、荒れすさぶの意として嵐の神、暴風雨の神とする説や(高天原でのスサノオの行いは暴風雨の被害を示すとする)、「進む」と同根で勢いのままに事を行うの意とする説、出雲西部の神戸川中流にある須佐(飯石郡須佐郷)に因むとする説(スサノオは須佐郷の族長を神格化したものとする)がある。
『記紀』神話においては出雲の神の祖神として書かれているスサノオであるが、『出雲国風土記』では彼はあまり登場せず、意宇郡安来郷や飯石郡(いいしのこおり)須佐郷などの地名制定や御子神たちの説話が書かれており、八岐大蛇退治の説話は記載されていない。
出雲国(現:島根県)東部の奥出雲町にはスサノオが降臨したといわれる鳥髪峰(現:船通山)、それに隣接する安来市は彼が地名をつけたという風土記の記述もある。また、前述の通り八岐大蛇退治は産鉄民の平定を象徴すると見る説があるが、これらの地域は古代より[たたら製鉄]が盛んだった流れから、現在でも島根県では日立金属安来工場や冶金研究所などが日本美術刀剣保存協会とともにこの地域で古式にのっとったたたら製鋼を行っている。
建速須佐之男命:たけはやすさのをのみこと
速須佐之男命:はやすさのをのみこと
速素戔鳴尊:はやすさのをのみこと
神素戔鳴尊:かむすさのをのみこと
素盞鳴尊/素戔鳴尊/素戔烏尊:すさのをのみこと
神須佐乃烏命/神須佐能袁命:かむすさのをのみこと
須佐能袁命:すさのをのみこと
速須佐能雄命:はやかむすさのをのみこと
須賀神:すがのかみ

『出雲国風土記』にも登場する古社、須佐神社は、島根県中部を南北に流れる神戸川の支流、須佐川のほとりにあります。

この地は日本神話の中でヤマタノオロチを退治した英雄「須佐之男命(スサノオノミコト)」に関わりが深く、『出雲国風土記』の須佐郷の条には、須佐之男命 がこの地に来て最後の開拓をし、「この国は小さい国だがよい国だ。自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたと記されています。

全国には須佐之男命 ゆかりの神社が数多くありますが、須佐神社は唯一、須佐之男命 の御魂を祀る神社で、祭神は須佐之男命 のほか、妻である稲田比売命(イナタヒメノミコト)と、その両親である足摩槌命(アシナズチノミコト)、手摩槌命(テナヅチノミコト)と、オロチ退治に登場する四神が祀られています。


祭神 天忍穂耳命(アメノオシホミミ)・天穂日命(アメノホヒ)・天津彦根命(アマツヒコネ)・活津彦根命(イキツヒコネ)・熊野樟日命(クマノクスヒ)市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)・田心姫命(タゴリヒメ)・湍津姫命(タギツヒメ) 所謂宗像三女神。天照と須佐之男命 との誓約(ウケヒ)によって成りでた五男三女の神々で、成りでたとき、天照が須佐之男命 に「吾の持ち物である玉を物実として成りでた5男神は吾の子で、汝の剣を物実として成りでた3女神は汝の子である」と仰せられた、とある神々で(古事記)、筆頭に記す天忍穂耳命は天皇家の始祖。
東末社の裏手には、「 塩井(しおのい) 」と呼ばれる小さな池があります。須佐之男命がこちらの潮を汲んで、この地を清めたと言われています。



神木の前には、記念品の 「大杉さんの木精」 が置いてあります。大杉さんの葉を、塩井の水を清めたありがたい記念品とか。

天照社 祭神は天照大神。神社の前の道路を挟んで向かい側にある。

上の御前さんとも呼ばれる。中世には伊勢宮と呼ばれた


厳島神社 祭神は市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命(宗像三女神)である。洗度社、祓戸社とも呼ばれる。
須賀神社 祭神は素戔嗚尊である。才神楽さんとも呼ばれる。