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2020年9月 3日 (木)

大阪柏原市ー2 玉手山 安福寺

9月3日の誕生花 ブ     ルーサルビア
花言葉:  燃える思い、知恵、家族愛
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安福寺  大阪府柏原市玉手町7-21 

安福寺に行くには少し道中が分かりにくい。近鉄南大阪線「道明寺」下車から徒歩で約20分で到着します。「道明寺駅」から線路際を南進して左にある踏切を渡り「石川」に掛かる「玉手大橋」渡り左斜めの道を行けば、右に案内板が有ります。
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左折して直進左に郵便局が有りその先を右折「玉手山公園」の案内が有ります。
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右折して道なりに左折すれば すぐに玉手山公園右折の案内板が有ります。そこは右折しないで急な坂道を直進します。左カーブの正面に安福寺の小さな山門があります。
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標高約100mの玉手山の中腹です
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右に伯太彦神社の入口の鳥居が有ります
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左角には「右あんぷくぢ道」と彫られた300年前の道標と力石が置かれています。
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小さな山門をくぐると参道の両側に安福寺横穴群が広がっている。
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玉手山古墳群
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これら横穴群は、谷間の凝灰岩が露出しているところに、六世紀後半から七世紀前半に作られたもので参道南側、北側に各16基、計32基確認されている。かつては古代人の住居だと考えられていた時期もあったが、石棺や陶棺、陶器などが見つかり、中には騎馬人物像などの壁画が描かれたものも発見され、古墳時代後期の横穴墓であることが分かった。
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安福寺横穴群 南18号出土品北群10号横穴には、羨道の壁面に有名な線刻壁画があります。馬に乗る人物、鳥毛のような飾りを頭に付けてズボンを履く人物、被冠・帯刀し、長袖・長裾の衣服をまとった人物が描かれています。もっとも有名なものが左端の騎馬人物です。その馬は、脚の筋肉の張りまで表現されたリアルなものです。
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急な登りの
参道は右にカーブしていますが角には2つの祠と観音像が安置されています、
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カーブを登りきると左に2番目の山門が有ります。
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門をくぐると右は山 左側には大きな庫裡が有ります。
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社務所の門は閉じられ御朱印は頂けませんでした。
 
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右上に「鐘楼」が有ります。(上の参道からの撮影)
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第三の山門が正面に見えます。右手前には「手水舎」らしき建物が見えます。
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前に行くと以前は「手水舎」として使用されていたが、石室の石棺蓋だと判明して重要文化財に指定され、手水としての使用を禁止された。現在は「割竹形石棺蓋」として展示されていました。
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竹を割ったような棺形からの名前で、古墳時代前期の玉手山3号墳から出土されたものと伝わります。「割竹形石棺蓋」
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第三の山門をくぐると左に安福寺本堂が有ります。正面の扉は閉められていて内陣をうかがう事は出来ませんでした。また正面には木の枝がが本堂を覆い全体が分かりませんでした。
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玉手山(ぎょくしゅざん)安福寺は行基が開祖と云われています。しかし、戦国の世にあっては「一宇の堂」と表現されるほど荒廃しておりました。この安福寺再興の祖となったのが珂憶上人です。若狭の生まれと云われる珂憶上人は、幼い時江戸深川の霊山寺にて修行を行い名僧と呼ばれるまでに至った。この珂憶上人に深く帰依したのが、徳川御三家筆頭尾張第二代徳川光友公(家康の孫)。寛文年間(1661?1672)のことでありました。尾張二代目の手厚い庇護のもとに、珂憶上人は安福寺の今の原型を建立される。聖徳太子式珂憶造りと呼ばれる、本堂の丸みを持った屋根などが特徴。聖徳太子式とは、法隆寺を建立した後、渡来の大工の一部が河内の富田林に移住、その伝統を守った集団が有り、その技術を珂憶上人が採用してのことであります。 本堂には尾張徳川家の位牌が全て祭られています。
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第四の山門
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墓地内に入ると左に地蔵が安置されていました
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安福寺墓域の堂 
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安福寺 歴代管長墓碑 珂憶(かおく)は寛文10年(1670)に安福寺を復興した中興の祖人です。  
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大坂夏の陣で亡くなった武将を葬った五輪塔が沢山建てられています。
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安福寺復興の際、尾張藩2代藩主の徳川光友は、珂憶に、さまざまな宝物や寺田を寄進しました。
玉手は古代尾張村の本拠である安宿郡尾張郷の地です。江戸時代になっても尾張との結び付きが深く、安福寺は尾張徳川家に縁のある寺です。境内最上部には尾張藩2代藩主徳川光友公夫妻と子の廟(1625-1700)が玉手山7号墳前方部上に建てられています。
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玉手山公園東口から入って右に有る7号墳の後円部墳頂に、
珂憶上人が建てた豊臣・徳川の大坂夏の陣の両軍戦死者供養塔が有ります。
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供養塔の下には大坂夏の陣でこの地で戦死した「後藤又兵衛基次
」の墓が有り
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古墳から出土した石棺が展示されています。
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出典
重要文化財(国指定)
山水蒔絵硯箱 徳川光友寄附(工芸品) 大阪市立美術館寄託(明治32年)
菩提樹蒔絵香筥 徳川光友寄附(工芸品)大阪市立美術館寄託(明治32年)
牡丹蒔絵硯箱 徳川光友寄附(工芸品) 大阪市立美術館寄託(明治32年)
割竹形石棺蓋 勝負山古墳出土(考古資料)(平成2年)6月29日指定
大阪府指定文化財[編集]
安福寺横穴群 1973年(昭和48年)3月30日指定、
ウィキペディア「安福寺」より



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                9月の新作カラー
   秋らしい古典小紋柄のトンボ・唐草・青海波・
    矢羽根がパッチワーク調にプリントされた

        落ち着いたカラーの和モダンな生地で

         大きな結帯風のリボンを作りました。
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リボンの端には大き目のラインストーンがキラリ☆
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             【古典蝶々】 ¥1650(税込)
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