奈良県 石上神宮(いそのかみじんぐう)
10月1日の誕生花 ハギ (萩)
花言葉: 思案、想い、内気
石上神宮(いそのかみじんぐう)
〒632-0014 天理市布留町384 0743-62-0900
石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯で石上神宮は日本最古の神社の一つです。武門の棟梁たる飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、御神体として神武天皇の国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」、鎮魂にかかわる神宝「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」 、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した神剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」をおまつりしています。さらに、古代百済から献上されたとされる七支刀(国宝)をはじめ、 鉄盾、勾玉、管玉など重要文化財に指定されている貴重な宝物が数多く収蔵されています。
東駐車場
境内左に社務所が有る
社務所の前には二本目のご神木が在る。
ご神木の隣に「手水」が在ります。
境内には 石上神宮の神使、鶏 七十二候にちなんで東天紅鶏・烏骨鶏など約30羽が放し飼いされています。
その上には摂社 出雲建雄神社拝殿( いずもたけおじんじゃはいでん)国宝 が鎮座しています。
元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。内山永久寺は鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院で、神仏分離令により明治9年に廃絶したが、その後も鎮守社の住吉社は残されました。その住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが残されたので、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築しました。従ってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なものです。建立年代は保延3(1137)年に建立され、その後13・14世紀に2回の改築により現在の構造・形式になったと考えられています。祭神:出雲建雄神(草薙剣の荒魂、縁起では「吾は尾張の氏の女が祭る神である」とあり宮簀媛を示すとされる)。社殿は切妻造、檜皮葺。桁行5間の建物の中央1間分を土間の通路とした「割拝殿」と呼ばれる形式の拝殿である。
摂社 出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)
草薙剣くさなぎのつるぎの荒魂あらみたまである 出雲建雄神いずもたけおのかみをお祀りしています。
末社 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)で、 底筒男神(そこつつのおのかみ)、 中筒男神(なかつつのおのかみ)、 上筒男神(うわつつのおのかみ)、 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、 高靇神(たかおかみのかみ)を配祀神としてお祀りしています。
楼門回廊の手前左に緩やかな石段が在ります。
石段を登れば神庫(ほくら)が見えます。禁足地の南西の隅に建っている二戸前の校倉(あぜくら)造の建物で、垂仁天皇紀に「天神庫(あめのほくら)」と見えることからも、相当古くから神庫があったことが知られます。 現在の神庫は嘉永4年(1851)に再建されたもので、もとは禁足地の外の拝殿西隣に建っていましたが、本殿建立工事に伴い、明治45年に現在の場所に移築されました。神庫は御神宝を収蔵する庫であると同時に神格の宿るところとされ、毎年12月31日に「神庫祭(ほくらさい)」を斎行して御神宝の御安泰を祈願しています。
楼門回廊
楼門(ろうもん)(重要文化財 )棟木に記されている墨書によると、鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年(1318)に建立され重要文化財に指定されています。往古は鐘楼門として上層に鐘を吊るしていましたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却されました。
二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治・大正の元老として有名な山縣有朋(やまがたありとも)の筆によるものです。
楼門と廻廊
拝殿 (国宝) 当神宮への御崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられます。現存する拝殿としては最古のものであり、国宝に指定されています。 なお、文明2年修復、貞享元年上葺、享保18年修補、元文5年上葺、寛政10年修復、安政6年屋根替、計6枚の棟札が現存しています。
内陣
禁足地(きんそくち) 拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域として「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。
本殿 当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立し、この折に禁足地を北側に拡張、そして当時拝殿西隣にあった神庫(ほくら)を禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられました。神剣「韴霊」が顕現された地点は本殿と拝殿との間で、現在大きな石を置いて標示してあります。また、神剣と共に出土した玉類などは、その多くが重要文化財に指定されています。
御祭神
布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ 御神体の布都御魂剣ふつのみたまのつるぎに宿る神霊
布留御魂大神ふるのみたまのおおかみ 十種神宝に宿る神霊
布都斯魂大神ふつしみたまのおおかみ 天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎに宿る神霊
天神社・七座社たくさんの神様が祀られている摂社です。拝殿の向かいの少し高い位置にあります。
天神社(てんじんじゃ)祭神: 高皇産霊神、神皇産霊神
七座社(ななざしゃ)祭神: 生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神、大直日神
その他の末社
神田神社 祭神: 高倉下命
祓戸神社 祭神: 祓戸大神(聖域につき神職者以外は参拝不可)
恵比須神社 祭神: 事代主神 - 境外末社
七支刀(国宝)古墳時代の作で、石上神宮伝世品。両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。金象嵌で記された銘文の中に「泰□四年」の年紀があるが、「泰和」と解釈して「太和4年(369年)」に比定する説があり、その頃の百済での作と推定される。かつては神剣渡御祭(でんでん祭)で持ち出され、祭儀の中心的役割を果たした。1949年(昭和24年)5月30日に国の重要文化財に指定、1953年(昭和28年)11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定されました。
出典
『日本「神社」総覧最新版』(新人物往来社)
『石上神宮』(1999年、石上神宮社務所)
和田萃編『古代を考える 山辺の道 古墳・氏族・寺社』
(石上神宮禰宜白井伊佐牟、1999年、吉川弘文館)
『週刊朝日百科 日本の国宝』8号(石上神宮 天理大学)
関連項目
布都御魂剣
十種神宝
外部サイト
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
石上神宮 - 公式サイト
石上坐布留御魂神社 - 國學院大學神道・神社史料集成」
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