11月19日の誕生花 アルストロメリア
花言葉: 持続、エキゾチック、援助



根来寺 和歌山県岩出市根来2286 0736-62-1144
覚鑁(かくばん)上人〔興教(こうぎょう)大師〕が大治元年(1126年)、この地に鎮守の祠(ほこら)と僧房を建てたのがはじまりと言われる。のちに、高野山内衆徒との教義上の対立などから高野山を下り、根来で新義真言宗総本山の基礎を築く。(高野山の方を古義真言宗という)室町時代末期には領地七十二万石、子院数3000を数え、「根来衆」は数万にも及び一大宗教都市を形成した。種子島から伝来したばかりの火縄銃が持ち込まれ、鉄砲隊を持つ雑賀の鉄砲隊と共に、織田信長と豊臣秀吉に抵抗を続け1585年、ついに豊臣秀吉による根来攻めが行われ、子院のほとんどを焼失。焼失をまぬがれた大塔(国宝)・大師堂(重要文化財)などを残して、壊滅状態に陥ってしまいます。江戸時代に入り、紀州徳川家の庇護を受けて、その一部が復興され、現在は葛城連峰の端「350万平方メートル」という広大な境内を有する大寺となっています。
大門 根來一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建されたもので、上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されています。高さ16.88m 横幅17.63m 奥行6m

左右に仁王像を配し、この寺にふさわしい大門です。

大門をくぐると不動明王が祀られています。

大門から少し行くと左に「興教大師覚鑁上人」が国難を払うことを祈願して根來寺の総鎮守社「三部権現 」を祀りました。
次に茶毘所(菩提院)が有ります。康治2年(1143年)12月12日興教大師さまは御年49才で根來寺円明寺で入滅されましたが、そのご尊体を当所で荼毘(だび)に付したところです。現在は菩提院といわれています。
春日明神 お寺には「鎮守さま」という、その土地と仏教を守護する日本古来の神様がおまつりされています。根來寺も創建にあたり、興教大師覚鑁上人が一千余社の神様を勧請し、根來寺を護っていただくようにお願いしました。その中で特に覚鑁上人と縁が深い神様が「春日明神」です。
金比羅宮は 晴れた日に、和歌山市内や紀伊水道(和歌山と四国の間の海)が見え、四国香川県の金刀比羅宮を遙拝できる、高台にあります。
不動堂 重要文化財 この不動堂は平面は正八角形で、外廻り柱は八角柱、内廻り柱は円柱、外陣は畳敷、内陣は床を一段高く構え板敷になっています。
本尊は錐鑽不動(きりもみふどう)と通称される不動明王 脇侍は矜羯羅童子と制多迦童子。江戸時代末期の嘉永3年(1850年)建立。保延6年(1140年)に発生した錐もみの乱の際に覚鑁の命を身代りとなって助けた不動尊で「三国一のきりもみ不動」と呼ばれる。
拝殿の両脇には文殊菩薩と愛染明王、本尊厨子の両脇には四大明王が祀られています。
水子堂 この世に生をうける前に亡くなられた、お子様を供養するお堂です。
大伝法堂(本堂)- 重要文化財。真言宗の最も大切な修法を伝える道場で「傳法大会」「傳法潅頂」など、僧侶が厳しい修行をする場所です。文政10年(1827年)に再建された。
本尊は大日如来で、左脇に金剛薩埵、右脇に尊勝仏頂尊 この三尊の組み合わせは非常に珍しいです。
高野山の大伝法院にすでにあったことが知られ、教義解釈による組み合わせではないかと云われています。造像後7~800年の間 三尊とも金箔、金泥がこれほど奇麗に残っているのは非常に珍しいようです。
左脇侍尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょう) (重文)。像高335cm、木造、室町時代。
本尊大日如来坐像(だいにちにょらい) (重文)。像高350cm、木造、室町時代。
右脇侍金剛薩埵尊(こんごうさった) (重文)。像高343cm、木造、室町時代。
出典
外部リンク
ウィキペディア
新義真言宗 総本山根来寺公式ホームページ
近畿三十六不動尊霊場会 公式ホームページ