JR和歌山線ー4 粉河寺ー2
11月12日の誕生花 ガーベラ
花言葉: 神秘、崇高美
粉河寺 その2

天台宗系の粉河観音宗総本山。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。本尊は千手千眼観世音菩薩。西国三十三所第3番札所。風猛山 粉河寺 (ふうもうざん こかわでら)は伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古(おおとものくじこ)が地面に光を放っている場所を発見し、その場所に庵を建てた。そこへ千手観音の化身だった童行者が現れ、千手観音像を刻み立ち去ったという。
広い境内の中ほどに大きな中門がそびえています

中門(重要文化財)。天保3年(1832年)に完成した入母屋造り、本瓦葺きの楼門です。
中門の「風猛山」の扁額は紀州十代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ)の真筆です。
中門 表裏の左右に四天王像(持国天・増長天・広目天・多門天)が安置されています。


中門(重要文化財)。天保3年(1832年)に完成した入母屋造り、本瓦葺きの楼門です。

中門の「風猛山」の扁額は紀州十代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ)の真筆です。

中門 表裏の左右に四天王像(持国天・増長天・広目天・多門天)が安置されています。


本堂前下に桃山時代の枯山水「粉河寺庭園」(国の名勝指定)が有ります。
石組にサツキやソテツが植込まれ、約3mの石段を登って本堂に上がります。
本堂は西国三十三所の寺院の中で最大級のお堂です。 享保五年(1720)の建立。内陣には八代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)寄進の左甚五郎(ひだりじんごろう)作「野荒らしの虎」も有ります。
本尊・千手観音(秘仏)を安置する正堂(しょうどう)と、礼拝のための礼堂(らいどう)を前後に並べた形式。正堂の内陣には、千手観音の眷属である二十八部衆像と風神雷神像計30体を左右15体ずつ安置しています。その奥は千手観音像の安置場所です。その内部は公開されていませんが、土間床とし、中央に六角形の厨子を安置しています。ここに安置する千手観音像はお前立ち像とされ、真の本尊は本堂下の地中に埋められているといわれます。
東側には鬼子母神(きしもじん)
西には不動明王、大日如来、閻魔大王、その他諸尊が安置されています。
「びんずるさん」
千手堂は宝形造りの小さなお堂で、本堂の左に建っています。 宝暦10年(1760年)建立の国の重要文化財。正面に千手観世音菩薩さまが祀られ、両側の脇壇には、紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌が祀られている
千手堂の右奥には、朱の鳥居と急な登り階段が見えます。
「たのもしのみや」と書かれたこの階段を登ると、粉河産土神社があります。
「たのもしのみや」と書かれたこの階段を登ると、粉河産土神社があります。
お寺の境内にあるこの神社の神様は、粉河寺を守ってくださる鎮守の神様。
丹生都姫命(にうつひめのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
粉河寺の開基である大伴孔子古の子、の大伴船主が783年に創建したとされています。
本堂右手前に「六角堂 」が在ります。 西国三十三観音像を安置する。享保五年(1720)の建立
本堂右隣に鐘楼があります
薬師堂 薬師如来を安置する。眼病を初め諸病平癒祈願の仏さまです。
本堂の左から急な石段を登れば 行者堂へ行きます。
行者堂
出典
ウィキメディア・コモンズ
ウィキペディア
粉河寺|西国第三番札所|厄除観音|和歌山紀の川市
粉河寺 | 紀の川市観光協会
第三番 粉河寺:西国三十三所
天下の名刹 粉河寺を訪ねて | わかやま歴史物語
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