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2021年1月 1日 (金)

高天原・天孫降臨-1 高天原

1月1日の誕生花       フクジュソウ 福寿草)

11-1


花言葉:     思い出、祝福、永遠の幸せ

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昨年は多難な年でしたが 本年こそ皆様に

 は良い年であります様に祈念致します。

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2021年(令和3年・皇紀2681年)


       皇室の起源

神武天皇(紀元前711年~紀元前585年4月9日)は、日本の初代天皇とされ、『古事記』『日本書紀』に登場します。「日本書紀」によれば、天皇としての在位は神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)~神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日)の76年間とされ、これによれば、亡くなった年齢は127歳だったことになります。

 

    高天原(たかまがはら)とは・・・

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高天原とは・・・天照大御神を主宰神とした天津神が住んでいるとされた天上の世界。だが日本各地に「高天原」が現在13か所も存在する。日本の成り立ち、皇紀2681年に及ぶ「皇祖神の絶対性」を強調する為 歴史学者の数だけ説が有ると言われる。
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   伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、
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天照大神に高天原を治めよと命じます。皇祖・天照大神は高天原を治める神になり、皇室が始まりました。高天原から蒜山の系統は天津神、あるいは天孫族といいます。これに対して出雲は国津神といわれます。神武天皇の后である伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、
出雲の出身で、大国主命あるいは事代主神の子と言われます。この伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の子が二代・綏靖天皇となるわけです。これを天津神と国津神の融合とも言います。


諸説ある中 主なものを調べてみました。

 

高天原(たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる日本神話および祝詞において、天照大御神を主宰神とした天津神が住んでいるとされた場所のことで、有名な岩戸の段も高天原が舞台である。


日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ多くの神々が住んでいたとされる天上の世界。「根の国」「底つ国」に対する世界で、それらの中間に「葦原(あしはら)の中つ国」「顕国(うつしくに)」があるとされた。


日本神話で,天照大神 (あまてらすおおみかみ) ・素戔嗚尊 (すさのおのみこと) ら天つ神の住む天上の世界この天上に対する国土の豊葦原 (とよあしはら) で,出雲・筑紫神話が展開した。記紀(古事記・日本書紀)では,皇祖神の絶対性を強調するため明確に区別している。


【高天原神話】より
記紀神話には,天界高天原,地上界葦原中国(あしはらのなかつくに),地下界黄泉国(よみのくに)(もしくは根の国)という3層の神話的世界構造がみられる。それぞれに王権神話における固有の意義をにない,単に天,地上,地下というだけではない。


天孫降臨神話】より
〈日の御子〉が地上界の支配者として天降(あまくだ)る由来を物語り,記紀神話の中心をなす。天界の高天原(たかまがはら)で諸神が協議し,日神天照大神(あまてらすおおかみ)の子を地上界葦原中国(あしはらのなかつくに)に天降すことになる。ところが地上には,大国主(おおくにぬし)神を頭目とする荒ぶる神々が跳梁していた。


黄泉国】より

平面的な生活空間を立体的に構造化したとき,天上,地上,地下の3層から成る神話的な宇宙空間が成立する。記紀の伝承では,それらは〈高天原(たかまがはら)〉(高天原神話),〈葦原中国(あしはらのなかつくに)〉および〈黄泉国〉または〈根の国〉にそれぞれ相当する。〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界であり,実際そこは地下へと通ずる山中や海辺の洞窟で,死体を遺棄する場所でもあった。 島根県松江市東出雲町に現存しています。
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      黄泉比良坂 黄泉国入口

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    (ここまでの出典「コトバンク」)

  

        高天原 

  日本各地に伝わる主な高天原

  葛城・金剛山高天台 - 奈良県御所市高天

   高天彦神社(後日紹介します)
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奈良県南部の御所市高天。金剛山の麓に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山は、古くは高天原山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに所在する高天彦神社は延喜式では最高の社格とされた名神(みょうじん)大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊(たかみむすび)神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。

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参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。古典作品では、『蜻蛉日記』にて『夢ばかり見てしばかりにまどひつつ明くるぞ遅き天の戸ざしは』という和歌があり、さらにこれに続く和歌として『さもこそは葛城山に馴れたらめただ一言や限りなりける』とあることから、天岩戸が葛城山にあったとする理解は遅くとも平安時代まで遡ることが解る。鎌倉時代の『三流抄』には『太神・・・大和国葛城山高間原天岩戸ニ閉籠リ玉フ』とあり、また能の葛城や代主などの舞台もこの地とされることから、中世における高天原の所在地は葛城山付近と理解されていたと考えられる。最終的には江戸時代初頭まで、新井白石が常陸国説を唱えるまでは、この地が高天原史跡だと考えられていた。

 

蒜山(ひるぜん) - 岡山県真庭市

『古事記』は編纂1308年を迎えました。皇紀2680余年 『古事記』に登場する神話は、『出雲神話』がおよそ三分の一を占めており、「出雲大社」も近くに有り 中でも須佐之男命 のオロチ退治は全国的にも有名です。高天原から見ると 「葦原中国(あしはらのなかつくに)出雲・伯耆・美作・因幡」とは現在の中国地方で、島根県松江市東出雲町に有る〈黄泉国〉または〈根の国〉〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界である。また素戔嗚尊が降臨した地も少し離れた奥出雲(現在の島根県)で父神 イザナギノミコトの命令を聞かず、亡き母に会いたいと泣き続ける素戔嗚尊 を父神は追放します。素戔嗚尊は姉である日の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)のいる高天原(たかまがはら)に行きますが、そこでも散々乱行を働いたために天照大神は岩屋戸に隠れてしまいます。日の神が隠れたことにより世界は暗闇となり災いが訪れ、これは大変と高天原の八百万(やおよろず)の神たちは計略をもって天照大神を岩屋戸から引き出し

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スサノオを追放します。またもや追放された須佐之男命降臨したのが、出雲国(現:島根県)東部の奥出雲町に在る鳥髪峰(現:船通山)という地でした。(出雲市を流れる斐伊川の源流)そこからしばらく行くと、美しい娘「奇稲田姫(くしなだひめ)」と老夫婦が泣いており、聞けば恐ろしいヤマタノオロチに娘が食われてしまうといいます。須佐之男命 は娘を嫁にもらうのと引き換えに、ヤマタノオロチを退治することになりました。それに隣接する安来市のやすぎの地名は、彼がつけたという風土記の記述もある。


 素戔鳴尊に関する記述は 
当ブログ 2020年 
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7月30日・8月6日・8月13日・8月20日 4回に

     分けてアップしています。



岡山県真庭市に鎮座する「茅部神社」後日紹介します。

蒜山高原の近くに天岩戸、真名井の滝、天の浮橋がある。

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高原町(たかはるちょう) - 宮崎県高原町

「古事記」をもとに江戸時代の作られた「テーマパーク」ともいわれています

高原町は、後ろに高千穂峰がそびえている地理的な側面もあり、江戸時代から天孫降臨の地として認識されていたようである。江戸時代末期に薩摩藩により編纂された『三国名勝図會』では、土俗傳へ云、當邑を高原と號するは高天原の略称なりと、凡日向国内此辺は、神代の 皇都に係り、今に都島都島は今の都城、高城などといへる地名殘るも此が為にて、此地、都島と接し、(後略)、とある。そしてその伝承に沿うかのように約200年前 山頂に「天逆鉾」が立てられている。立てられたのは江戸時代辺りと推定されるが、詳細は不明である。又、高原町は、神武天皇御降誕の地としても名高い場所である。『日本書紀』にある神武天皇の幼名「狭野尊」が当町の狭野地区を指しているというのが主な根拠であるが、江戸時代半ばから末期にかけての神社関連の古文書の中に複数の地形を挙げて神武天皇の『聖蹟』としている。ただ、具体的な説明はなく、現在説明されている神武天皇関連の説明の大筋は『三国名勝図會』に依っている。伝承では、いわゆる東征までこの地で暮らしたとされている。


高千穂(たかちほ) - 宮崎県高千穂町 

小学校で学んだ 高天原は宮崎県高千穂 と言う記述は 古事記・日本書紀に出てきますが この記述は編さん者「藤原 不比等(ふじわら の ふひと)」によって故意に曲げられた作り話と言われます。なぜなら宮崎県北部。天岩戸や天香具山、高天原、四皇子峰等がある。高千穂神社では、天鈿女命が舞ったことから始まったとされる高千穂の夜神楽が伝承されている。まだ新しい時代に観光地として整備されたと言う説があります。


阿蘇・蘇陽 - 熊本県山都町


高天原神話の発祥の神宮であると近年になって自称している「日の宮・幣立神宮」がある。御神体は豊国文字と阿比留文字が彫られた石板であり、「アソヒノオオカミ」と「日文」が表裏に刻まれている。ちなみに「幣立」とはヒモロギを意味し、太古 天の神が御降臨になった聖なる地とされている。


大韓民国説もあります。 慶尚北道高霊郡


高天原は実在の地域を反映しているとする説は古くから存在し、第二次大戦後は主としてアマチュア研究家によって朝鮮半島説も唱えられることがあった。当初その比定地とされたのは、戦前から一部の研究家によって素戔鳴尊が立ち寄ったという新羅のソシモリの候補とされた、『冬のソナタ』のロケ地として知られる江原道春川市であって、慶尚北道高霊郡ではなかった。春川に代わって名乗りをあげたのが高霊郡であった。加耶大学校の李慶煕総長がこの説の主唱者で、1999年6月28日に「高天原故地」と記された石碑が建立された。
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(ここまでの出典)
ウィキペディア
高天彦神社
古事記・日本神話の伝承地~高天原史跡ガイド
御所市高天 葛城高天原・神話の里・天孫降臨神話

 

古事記・日本書紀については、後日小生の説をご紹介いたします

 

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          2021年1月の新作

 大きな和風のおリボンを作りました♪

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 おリボンは左右アシメトリーに生地を切り替え

 リボンの端にはラインストーンが2つ 


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 【和リボン・市松&麻葉】 ¥1650(税込)
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