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歴史探訪

2020年11月26日 (木)

JR和歌山線-5 根来寺ー2

11月26日の誕生花  シャコバサボテン

花言葉:美しい眺め、もつれやすい恋

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根来寺ー2

広大な境内   伽藍配置図

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大塔(大毘廬遮那法界体性塔(だいびるしゃなほっかいたいしょうとう)(国宝) この塔は、真言密教の教義を形の上で示したものです。天文16年(1547年)に完成しました。明治32年に国宝に指定されている。本尊・胎蔵大日如来。高さ40m、幅15mの木造では日本最大の多宝塔。「多宝塔」とは二重塔で、初層の平面が方形、上層の塔身が円形に造られたものです。
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円筒形の塔身の周囲に平面方形の庇を付した、多宝塔本来の形式をとどめている。内部には12本の柱が円形に立ち、そのなかに四天柱が立っている。解体修理の際に部材から発見された墨書により、文明12(1480年)頃から建築が始まり、半世紀以上経た天文16年(1547年)頃に竣工したと考えられている。また、基部には秀吉に攻められた際の火縄銃の弾痕が残されている。
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大塔の軒と組み物の対称が非常に美しく感動しました。 
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大塔本尊   手印が定印なので宝冠釈迦如来です。

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大師堂  真言宗を開宗された弘法大師・空海像を本尊として祀っています。明徳2年(1391年)に建立され
た。豊臣秀吉の焼打ちからも残り、重要文化財に指定されています。

 

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大師堂  須弥壇に近い天井は繰上格天井になってます。
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奥の院  根來寺を開かれた「興教(こうぎょう)大師・
覚鑁(かくばん)上人」は 康治2年(1143年)12月12日に入滅された。 
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奥の御廟の円墳にお祀りされています。御廟の橋手前左右の墓地は歴代の座主、長老の墓所です。
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立派な御廟門 です。
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光明真言殿(光明殿) 重要文化財。本尊・興教大師。江戸時代後期の享和元年(1801年)建立。左右には歴代藩主・座主の位牌を始め信徒の位牌が祀られています。
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光明殿扁額は密厳堂と書かれています。密厳とは真言宗で云う大日如来がいる浄土の事だそうです
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         光明殿内陣
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内陣奥 須弥壇上のお厨子に宗祖興教大師覚鑁さんの尊像が祀られている
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紀州徳川家から拝領した自然の滝と池を取り入れた池泉式蓬莱庭園の池庭(江戸時代作庭)
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国の名勝に指定されています。 
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行者堂 重要文化財。本尊は役行者を祀り、仏法興隆のための行場となっています。
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       行者堂  須弥壇
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        本尊役行者坐像
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聖天堂 重要文化財。聖天池に浮かぶ堂で享保二十一年 (1736年) 建立。
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堂内 須弥壇奥のお厨子に本尊聖天尊を安置しています。この堂正面の朱塗の須弥壇が有名な「根来塗」で室町時代から伝わっています。
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平安時代開創の
聖天池、国の名勝に指定されている。 Photo_20200514135001  

聖天池の左奥に
土塀・山門が相当荒れた「九社明神本殿」が有ります。
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石段を上がれば広場になっていて3つの社九神様が祀られています。
 
丹生大明神(にう)・高野大明神(こうや)・伊太祁曽大明神(いたきそ)・御船三所大明神(みふねさんしょ) ・金折六所大明神(かなおりろくしょ)・金峯山金剛蔵王(きんぷせんこんごうざおう)・熊野三所権現(くまのさんしょごんげん) ・白山妙理権現 (はくさんみうりごんげん) ・牛頭天王八王子 (ごずてんのうはちおうじ)
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竜宮門式重層の鐘楼門で白袴の角張りの大きな楼門です。
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出典
外部リンク
ウィキペディア
新義真言宗 総本山根来寺公式ホームページ
近畿三十六不動尊霊場会 公式ホームページ

2020年11月19日 (木)

JR和歌山線-5 根来寺-1

11月19日の誕生花  アルストロメリア

花言葉:    持続、エキゾチック、援助

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根来寺 和歌山県岩出市根来2286 0736-62-1144
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覚鑁(かくばん)上人〔興教(こうぎょう)大師〕が大治元年(1126年)、この地に鎮守の祠(ほこら)と僧房を建てたのがはじまりと言われる。のちに、高野山内衆徒との教義上の対立などから高野山を下り、根来で新義真言宗総本山の基礎を築く。(高野山の方を古義真言宗という)室町時代末期には領地七十二万石、子院数3000を数え、「根来衆」は数万にも及び一大宗教都市を形成した。種子島から伝来したばかりの火縄銃が持ち込まれ、鉄砲隊を持つ雑賀の鉄砲隊と共に、織田信長と豊臣秀吉に抵抗を続け1585年、ついに豊臣秀吉による根来攻めが行われ、子院のほとんどを焼失。焼失をまぬがれた大塔(国宝)・大師堂(重要文化財)などを残して、壊滅状態に陥ってしまいます。江戸時代に入り、紀州徳川家の庇護を受けて、その一部が復興され、現在は葛城連峰の端「350万平方メートル」という広大な境内を有する大寺となっています。
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大門 根來一山の総門で嘉永3年(1850年)に再建されたもので、上層には釈迦三尊と十六羅漢像が安置されています。高さ16.88m 横幅17.63m 奥行6m
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左右に仁王像を配し、この寺にふさわしい大門です。
 
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大門をくぐると
不動明王が祀られています。
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大門から少し行くと左に「興教大師覚鑁上人」が国難を払うことを祈願して
根來寺の総鎮守社「三部権現 」を祀りました。
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次に茶毘所(菩提院)が有ります。康治2年(1143年)12月12日興教大師さまは御年49才で根來寺円明寺で入滅されましたが、そのご尊体を当所で荼毘(だび)に付したところです。現在は菩提院といわれています。
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春日明神 お寺には「鎮守さま」という、その土地と仏教を守護する日本古来の神様がおまつりされています。根來寺も創建にあたり、興教大師覚鑁上人が一千余社の神様を勧請し、根來寺を護っていただくようにお願いしました。その中で特に覚鑁上人と縁が深い神様が「春日明神」です。
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金比羅宮は 晴れた日に、和歌山市内や紀伊水道(和歌山と四国の間の海)が見え、四国香川県の金刀比羅宮を遙拝できる、高台にあります。
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不動堂  重要文化財 この不動堂は平面は正八角形で、外廻り柱は八角柱、内廻り柱は円柱、外陣は畳敷、内陣は床を一段高く構え板敷になっています。
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本尊は錐鑽不動(きりもみふどう)と通称される不動明王 脇侍は矜羯羅童子と制多迦童子。江戸時代末期の嘉永3年(1850年)建立。保延6年(1140年)に発生した錐もみの乱の際に覚鑁の命を身代りとなって助けた不動尊で「三国一のきりもみ不動」と呼ばれる。
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拝殿の両脇には文殊菩薩と愛染明王、本尊厨子の両脇には四大明王が祀られています。
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水子堂 この世に生をうける前に亡くなられた、お子様を供養するお堂です。
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大伝法堂(本堂)- 重要文化財。真言宗の最も大切な修法を伝える道場で「傳法大会」「傳法潅頂」など、僧侶が厳しい修行をする場所です。文政10年(1827年)に再建された。
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本尊は大日如来で、左脇に金剛薩埵、右脇に尊勝仏頂尊 この三尊の組み合わせは非常に珍しいです。
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高野山の大伝法院にすでにあったことが知られ、教義解釈による組み合わせではないかと云われています。造像後7~800年の間 三尊とも金箔、金泥がこれほど奇麗に残っているのは非常に珍しいようです。
左脇侍尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょう) (重文)。像高335cm、木造、室町時代。
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本尊大日如来坐像(だいにちにょらい) (重文)。像高350cm、木造、室町時代。
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右脇侍金剛薩埵尊(こんごうさった) (重文)。像高343cm、木造、室町時代。
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出典
外部リンク
ウィキペディア
新義真言宗 総本山根来寺公式ホームページ
近畿三十六不動尊霊場会 公式ホームページ

 

2020年11月12日 (木)

JR和歌山線ー4 粉河寺ー2

11月12日の誕生花         ガーベラ

花言葉:                  神秘、崇高美

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     粉河寺 その2
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天台宗系の粉河観音宗総本山。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。本尊は千手千眼観世音菩薩。西国三十三所第3番札所。風猛山 粉河寺 (ふうもうざん こかわでら)は伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古(おおとものくじこ)が地面に光を放っている場所を発見し、その場所に庵を建てた。そこへ千手観音の化身だった童行者が現れ、千手観音像を刻み立ち去ったという。
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 広い境内の中ほどに大きな中門がそびえています
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中門(重要文化財)。天保3年(1832年)に完成した入母屋造り、本瓦葺きの楼門です。

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中門の「風猛山」の扁額は紀州十代藩主・徳川治宝(とくがわはるとみ)の真筆です。
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中門 表裏の左右に四天王像(持国天・増長天・広目天・多門天)が安置されています。
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中門を入ると左に
若山牧水の歌碑が有ります 
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    右には松尾芭蕉の句碑が有ります
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その先には水向地蔵(みずむけじぞう)が有ります。経木塔婆(きょうぎとうば)に水を手向け亡くなった人の冥福(めいふく)を祈るので水向地蔵と称されます。
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丈六堂(じょうろくどう)一丈六尺(約4.85m)の大きさの阿弥陀如来像が安置されています。一丈六尺は、仏像の像高の一規準で、お釈迦さまの身長が一丈六尺であったと伝わることから由来しています。
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本堂前下に桃山時代の枯山水「粉河寺庭園」(国の名勝指定)が有ります。
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斜面なので土留め石垣を兼ねた石組み枯山水です。桃山時代の上田宗箇(うえだそうこ)、別名、上田重安の作庭じゃないかといわれています。
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紀州青石(緑泥片岩)や、琴浦の紫石、龍門石などの紀州の名石を組み合わせた勇壮な庭。192

石組にサツキやソテツが植込まれ、約3mの石段を登って本堂に上がります。

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本堂は西国三十三所の寺院の中で最大級のお堂です。 享保五年(1720)の建立。内陣には八代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)寄進の左甚五郎(ひだりじんごろう)作「野荒らしの虎」も有ります。
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本尊・千手観音(秘仏)を安置する正堂(しょうどう)と、礼拝のための礼堂(らいどう)を前後に並べた形式。正堂の内陣には、千手観音の眷属である二十八部衆像と風神雷神像計30体を左右15体ずつ安置しています。その奥は千手観音像の安置場所です。その内部は公開されていませんが、土間床とし、中央に六角形の厨子を安置しています。ここに安置する千手観音像はお前立ち像とされ、真の本尊は本堂下の地中に埋められているといわれます。
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東側には鬼子母神(きしもじん)
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西には不動明王、大日如来、閻魔大王、その他諸尊が安置されています。
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「びんずるさん」
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千手堂は宝形造りの小さなお堂で、本堂の左に建っています。 宝暦10年(1760年)建立の国の重要文化財。正面に千手観世音菩薩さまが祀られ、両側の脇壇には、紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌が祀られている
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千手堂の右奥には、朱の鳥居と急な登り階段が見えます。
「たのもしのみや」と書かれたこの階段を登ると、粉河産土神社があります。
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お寺の境内にあるこの神社の神様は、粉河寺を守ってくださる鎮守の神様。
丹生都姫命にうつひめのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
粉河寺の開基である大伴孔子古の子、の大伴船主が783年に創建したとされています。
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本堂右手前に「六角堂 」が在ります。 西国三十三観音像を安置する。享保五年(1720)の建立
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      本堂右隣に鐘楼があります
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         身代わり地蔵
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薬師堂 薬師如来を安置する。眼病を初め諸病平癒祈願の仏さまです。
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本堂の左から急な石段を登れば 行者堂へ行きます。
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          行者堂
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出典
ウィキメディア・コモンズ
ウィキペディア
粉河寺|西国第三番札所|厄除観音|和歌山紀の川市
粉河寺 | 紀の川市観光協会
第三番 粉河寺:西国三十三所
天下の名刹 粉河寺を訪ねて | わかやま歴史物語

2020年11月 5日 (木)

JR和歌山線ー4 粉河寺ー1

11月5日の誕生花        コルチカム

花言葉:                           華  美
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粉河寺(こかわでら)〒649-6531 
和歌山県紀の川市粉河2787    0736-73-4830
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天台宗系の粉河観音宗総本山。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。本尊は千手千眼観世音菩薩。
西国三十三所第3番札所。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、紀伊国那賀郡に住む 猟師大伴孔子古(おおとものくじこ)が地面に光を放っている場所を発見し、その場所に庵を建てた。そこへ千手観音の化身だった童行者が現れ、千手観音像を刻み立ち去ったという。

鎌倉時代には隆盛を極め、七堂伽藍550坊を要する4km四方の境内地と寺領四万石余りを有しましたが、天正13(1585)年、秀吉の紀州攻めの際に偉容を誇った堂塔・伽藍もことごとく焼失してしまいます。その後、紀州徳川家の手厚い保護と信徒たちの努力に支えられて、江戸中期には現在にいたる諸堂がすべて再興されました。
 
       粉河寺 その1 

大門は規模の大きい三間楼門で、和歌山県では、高野山・根来寺に次ぐ威容を誇る。宝永四年(1706)総欅造り。 (国の重要文化財)
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          扁額
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桂の巨木で作られた金剛力士像は
仏師春日作と伝わる    
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大門を抜けると左に境内の案内板が有り、石畳の広い道が続きます。3_20200601080201

          境内図
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大門から最初に有る不動堂。
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弘法大師爪刻(つめぼり)
不動尊が安置されています
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参道右は長屋川 左に諸堂が並んでいます。
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子育て地蔵  子供の無病息災祈願の仏さまです。享保十九年(1734)粉河の鋳物師・木村安成の作。
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童男堂 延宝7年(1679年)の建立の和歌山県指定文化財で、千手千眼観世音菩薩の化身といわれる童男大士を祀っています。秘仏で公開されていません。
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仏足跡(ぶっそくせき)は、釈迦の足跡を石に刻み信仰の対象としたもの。
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生垣の剪定 綺麗に刈り込まれたウバメガシ。
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念仏堂(光明殿)は 江戸時代後期築の総欅造り。「出現池」に隣接して建っています。
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露座佛(ろざぶつ)文久2年(1862)粉河鋳物師 増井盛信の作で鋳銅の弥陀如来座像、紀州八代藩主・徳川重倫(とくがわしげのり)らの寄進。
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出現池。本尊千手観音の化身、童男大士(どうなんたいし)が柳の枝を手に白馬に乗って、この池から出てきたと伝えられています。
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正面に童男大士が祀つられています
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  童子姿となって現れた千手観音 (国宝図)

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  太子堂には聖徳太子が祀つられています。
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     太子堂から中門が見えます
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    中門手前左に手水舎があります。
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手水舎(盥漱盤=かんそうばん)は銅製で蓮の葉をかたどっています
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   次週に「粉河寺 その二」続きます

2020年10月29日 (木)

JR和歌山線ー3 三船神社

10月29日の誕生花          月下美人

花言葉:           儚い美、繊細、快楽
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三船神社   和歌山県紀の川市桃山町神田101 
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創建は、人皇十代「崇神天皇(すじんてんのう)」の皇女「豊耜入日売命(とよすきいりひめのみこと)」の創祀と伝えられ、鳥羽法皇、美福門院の御信仰もあつく、古くから安楽川莊中の産土神として祀られた社である。紀伊国神名帳には正一位御船大神と記され、神田浦垣に奉祀されたのがはじめといわれる。本殿には木霊屋船神、太玉命、彦狭知命、摂社には丹生都比売命、高野御子神が祀られ、明治の末ごろから、安楽川村四ヶ大字の各神社祭神を合祀している。
現在の社殿は、天正のはじめごろ社殿が焼失したのち高野山座主木食応其上人により天正十九年(1591)に本殿が再建され、摂社はやや遅れて慶長四年(1599)の造営になるものである。三社殿は全体に保存がよく、各所に種々の彫刻が施されたうえ極彩色にいろどられ、和歌山県下における華麗な桃山時代の形式、手法を示す社殿として価値のある遺構である。
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 鳥居から約150mの真っ直ぐな車も通れる参道
         
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境内に入ると、正面に極彩色の華麗な「三間社流造」「一間社隅木入春日造」の本殿が見えます。
神社の由来について書かれています。高野山の木食応其上人(もくじきおうごしょうにん)により1591年に本殿が再建されました。摂社は1599年に再建です。
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由緒書きを読み坂を上った所に駐車場があります。
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        境内広場 駐車場
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        年代を感じる石段
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      本堂の前に神楽殿があります。
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        神楽殿内部
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1800年頃に書かれた「紀伊国名所図会」には、文殊菩薩が安置された「本地堂」、弘法大師像を安置した「御影堂」「鐘楼」もあったと記されています。
この建物は本地堂です。手前に枝ぶりの良い松の木があります。
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手水舎はコロナ対策でしょうか 水は入っていません 
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重要文化財の本殿三棟。左から高野神社、丹生神社、三船神社。ここの社殿も千木は全て垂直切りで、男神、女神の区別がありません。
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左に高野御子神(たかのみこのかみ)が祀られています。
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真ん中に丹生都比売命(にうつひめのみこと)が祀られている。
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右が本殿。木霊屋船神(家屋の神様)、太玉命(占いの神様)、彦狭知命(工匠の神様)が祀られています。
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      本殿は極彩色に彩られています。
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          狛犬も青。
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   壁には鷹、トラ、龍が描かれています。
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    こちらには獅子、鶴が描かれています。
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        本殿の右にある御影堂。
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    高台にあって、見晴らしがいいです。
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ご神木 中央に小祠、左がケヤキ、右にムクノキ。幹周 3.7m・ 幹周実測値 4.24m。樹高不明らしい。樹齢 推定300年
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10月の新作はもちろんハロウィン~🎃🎵

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2020年10月22日 (木)

大国主命-2 受難・再生地 赤猪岩神社

10月22日の誕生花   ミニバラ
花言葉:        特別の功績

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赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ) 鳥取県南部町。
JR山陰本線米子駅から日ノ丸バス御内谷線などで「手間」下車徒歩15分

『古事記』上巻、『先代旧事本紀』第4巻 地祇本紀での因幡の白兎の神話の続きの説話の舞台となった場所にある。大正6年(1917年)現在地に創建された久清神社と、南部町内にある要害山山頂にあった赤猪神社が、大正9年(1920年)に合祀され現在の赤猪岩神社となった。
創建年代は明らかではないが、古事記には「兄である八十神達のお供として八上比売へ求婚する旅にでかけた大穴牟遅神(大国主)は途中兄達にいじめられていた兎を助け、その予言通り八上比売と結ばれた(「因幡の白兎」の話)。
このことに怒った八十神達は赤い猪を山の上から追い立てるので下で捕まえろと大穴牟遅に命じ、加熱した石を猪に見立てて山の上から転がし、これを受けた大穴牟遅は酷い火傷を負って死んでしまう。このことを知った大穴牟遅の母・刺国若比売が神産巣日之命に相談すると蚶貝比売と蛤貝比売を地上に遣わしてくれ、乳汁塗って大穴牟遅を蘇らせた」といった話が載っており、この神話の舞台が当地だと伝えられている。
赤猪岩神社は、鳥取県西伯郡南部町の田園風景が広がる一本道の奥にひっそりと立っています。赤猪岩神社の看板が目印です。奥に見えるのがイザナミの母陵と伝えられている母塚山(はつかさん)です。
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         鳥居前に大きな駐車場が整備されています。
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  駐車場には 社務所代わりの売店が在ります。
 
     御朱印はここで頂けます。
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             社頭
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          一の鳥居
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    鳥居横に
案内板が在ります。
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            真新しい手水鉢
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       龍の口から水が出ています。
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           参道 二の鳥居
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鳥居前の出雲式構え型狛犬は 彫りがとても深く盤座下から尾頂まで110cmの大きさです。
210110cm

一の鳥居から石段を10段も上がれば二の鳥居
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   二の鳥居の扁額は赤かく塗られていました。
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鳥居から5m先に鉄板葺き、入母屋造平入、軒向拝の拝殿が鎮座しています。大きな注連縄、向拝虹梁上の蟇股彫刻は松に鷹です。
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参拝した日は 拝殿の内陣で地元の氏子さんが夏祭りの準備をされていました。 
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          拝殿の扁額
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拝殿の横にも絵馬が沢山かけられています
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境内左に根がむき出しの、
幹周りは約3.5mの ご神木スダジイがありました。
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境内には出雲大社の千家さんが建立した「大国主大神御遭難地」の石碑があります。ここで大国主命が復活していなかったら出雲大社もなかった と時々お参りに来られているそうです
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         赤猪岩神社・本殿。
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 出雲大社(いずもおおやしろ)に鎮座する大国主命
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お社の両横には階段があり、本殿の周りを一周することが出来ます。

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境内は、椎の木(シイノキ)や椨の木(タブノキ)などのうっそうとした巨木に囲まれています。苔むした大木の根元が、赤猪岩神社の長い歴史を物語っています。
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  本殿の後ろに周ることができます。
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               案内板
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本殿の横には大国主(オオクニヌシ)が抱いて落命したとされる大岩が封印されている。この岩は、地上にあってこの地を穢さないよう土中深く埋められ、大石で幾重にも蓋がされ、その周りには柵が巡らされ、しめなわが張られています。
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    本殿の奥にもう一つ社がありました。
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境内の石碑には「大國主大神御遭難地」と書かれています。
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赤猪岩神社古道をから歩いて約30分で、ウムギヒメが大国主(オオクニヌシ)を蘇生させる薬を作るため、
民家の間で、こんこんと清水が湧き続ける水を汲んだ清水井へと到着します。
8-30
出典
国宝 真福寺本古事記原文
先代舊事本紀卷第四 地祇本紀
外部リンク
ウィキペディア
南部町役場 赤猪岩神社

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2020年10月15日 (木)

大国主命-1(大物主) 大神神社ー2

10月15日の誕生花       バジル
花言葉:     よい望み、好意、好感

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和歌山県に鎮座する「大国主神社」大国主が殺害され再生された鳥取県の「赤猪岩神社」2020年6月にこのブログで紹介した「出雲大社(いずもおおやしろ」今回は
出雲大社と並ぶ日本最古の神社 奈良県桜井市に鎮座する「大神神社(おおみわじんじゃ)」を二回に分けて紹介いたします。

 (出雲大社第四鳥居の右前に鎮座する大国主像)

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   大神神社
(おおみわじんじゃ)-2
 
奈良県桜井市三輪1422   0744-42-6633
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狭井神社 (さいじんじゃ) の鳥居と社号標が見えてきました。
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市狭井神社の鳥居近くにある「鎮女池」の脇にある「市杵島姫神社」。水の守護神である、弁財天さんを祀っています。

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狭井神社  ここには病気平癒に御利益があると言われている大神(三輪神)の荒御魂が祀られています。
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「ご神水」と呼ばれ万病に効くと言われる薬水が湧き出る井戸。

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狭井神社の拝殿裏手にある「薬井戸(くすりいど)」では、御神水をいただけます。古くから霊験あらたかな「くすり水」として知られた湧き水で、その場で飲むだけではなく、ペットボトルに汲んで持ち帰る事も出来ます。
薬井戸の近くには御神水を使った「水琴窟(すいきんくつ)」もあります。
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神山 三輪山 登山口 大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖なお山で、禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可されています。道中は一切の撮影が禁止されております。
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   狭井神社から久延彦神社を目指します。
 
大美和の杜展望台 大神神社の境内から望む大和三山の眺めは絶景です。大神神社の敷地内にある『大美和の杜』と呼ばれる広場の高台(柿山展望台などと呼ばれるようです)から、三輪山の姿が夕陽を眺めてきました。大神神社の大鳥居に、大和三山、二上山などが見渡せる素晴らしい展望台でした。
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久延彦神社 祭神:久延毘古命。智恵の神様が祀られている社です。
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受験生や就活生の参拝が多く、たくさんの「ふくろう」を模した絵馬が奉納される。

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拝殿に置かれた「フクロウ」
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大直禰子神社(若宮社、重要文化財)祭神:大直禰子・少彦名命・活玉依姫命
明治の廃仏毀釈までは大御輪寺と呼ばれた、三輪明神の神宮寺の一つであり、桜井市の聖林寺にある国宝十一面観音菩薩立像が安置されていた。社殿は入母屋造本瓦葺きの仏堂形式で、数回にわたって大規模改修された末に室町時代に現在の形態になり、内陣の部材には奈良時代のものが含まれることが近年の解体修理に伴う部材調査で判明している。

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   神御前神社 祭神:倭迹迹日百襲姫命
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大神神社から檜原神社(ひばらじんじゃ)まで
徒歩約30分かかりました。 
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檜原神社の鳥居は大神神社と同様に、2本の柱にしめ縄を
渡す形の古代鳥居です。
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鳥居をくぐったところ。境内は決して広くありませんが、玉砂利が隅々まで掃き清められていて、とても神聖な空気を感じます。檜原神社は倭姫命が天照大神を磯堅城の神籬を立てて磯城の厳橿の本にはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑」の地であると伝えられ、元伊勢の始まりの地となっている(『日本書紀』垂仁天皇段)。
向かって右手が、独特の「三ツ鳥居」という形式を残す『檜原神社』。御祭神は天照大神若御魂神・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冊命(いざなみのみこと)。
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向かって左手が「豊鍬入姫宮(とよすきいりひめのみや)」です。

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  他にもたくさんの境内社・境外社が在ります。
 
毎年6月30日・12月31日 半年の「大祓」神事がおこなわれます。
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  小生も数十年欠かさずお参りしています。 

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出典
倭姫命世記および延喜式神名帳の大和国の式内社一覧
桜井市立埋蔵文化センター「三輪山西麓の磐座を訪ねて」
大神神社 (桜井市) (1987). 大神神社社務所
両陛下、皇室ゆかりの大神神社ご参拝
外部リンク
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
大神神社 - 公式サイト
大神大物主神社 - 國學院大學「神道・神社史料集成」

 

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2020年10月 8日 (木)

大国主命-1(大物主) 大神神社-1

10月8日の誕生花 シコンノボタン (紫紺野牡丹)
花言葉:                  平静、自然

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大国主命とは(出雲大社に鎮座する大国主像)
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オオクニヌシといえば、出雲大社の祭神。心優しいと言われていたオオクニヌシ。彼は優しいだけでなく、頭も良く、医術にも明るかった。ただ、その優しさと優秀さ故に、兄たちの嫉妬を買う。有名な話は「因幡の白兎」である。兄たちと美しいヤマガミヒメという娘を見に行く道中、サメに嘘をついたために皮を剥ぎ取られて苦しんでいた一匹の兎と出会う。兄たちは、塩水をかけ風に当たると治ると言い、さらに兎を苦しめた。そこに遅れてきたオオクニヌシが通りかかり、苦しんでいる兎を介抱した。その手当に使ったのが、彼が手にしている「がまの穂」である。彼の介抱により兎は瞬く間に回復した。その兎は「あなたこそがヤマガミヒメと結ばれるでしょう」と告げた。その予言通り、オオクニヌシはヤマガミヒメと結婚することになった。それを知った兄たちは、オオクニヌシの命を奪おうと、真っ赤に焼けた大岩を山から転がし、オオクニヌシを殺してしまう(鳥取県 赤猪岩神社)乱暴者だった兄たちにとって、オオクニヌシは大人の顔色をうかがう優等生で、自分たちを蔑んでいるように感じていたのかもしれない。彼の死を見て悲しんだ母親が、天津神に頼み、生き返らせてもらう。それでも兄たちは再びオオクニヌシを殺し、そのたびに母親が神様に頼み、蘇らせた。母親が最後に頼ったのは、オオクニヌシから遡ること六代目の祖先スサノオである。オオクニヌシは、スサノオを訪ねて出雲国まで赴く。そして、出雲に着くと心奪われる一人の女性と出会った。その女性こそ、スサノオの娘スセリビメである。オオクニヌシは、スサノオに認められようと様々な試練を耐え忍ぶ。その姿にスサノオは、オオクニヌシを婿として認め、スセリビメと一緒になることを許す。さらに、葦原の中津国を治めるよう大業を任せた。オオクニヌシはスクナビコ小人神少彦、一寸法師のモデル)と共に、国づくりを行う。国づくりは順調に進んでいくが、ある日突然スクナビコが「もう私は必要ないだろう」と、海の彼方に去って行った。突然のことに困り果てたオオクニヌシ。その時に海の向こうから光り輝く神様が現れ、「大和国の三輪山に自分を祀るように」という声が、どこからともなく聞こえてきた。オオクニヌシは「そなたは誰ですか」と問うた。その声は「我は汝の幸魂(さちみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えた。そう。それは、オオクニヌシ自身の魂の声だったのである。恐れや不安を抱いても疑うことなく、己が決めたことを貫きなさい。それが、あなたの真の願い。何を疑おぞ。疑うことなかれ。疑うのならば、己が決めた自分の意志が揺らぐことを疑うべし。これは、道に迷ったときに誰もが抱くことであり、すべての人に通じるものである。出雲大社の祝詞の最後に「奇魂(くしみたま)幸魂(さちみたま)守給(まもりたまえ)幸給(さきわへたまえ)」と唱える。 この国は、争うことによってつくられた国ではない。女性を愛し、その愛を貫き、様々な試練に打ち勝ち、その想いが認められたことで国づくりが始まっている。この国の国土を形作ったイザナキやイザナミも、そうである。二人の愛によって国がつくられた。

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全国に約84,000社ある神社の中で「大国主神」を祀る神社は非常に多く、各地の「一の宮」を中心に無数に存在するため、今回は特に主な神社を列挙します。


出雲大社(島根県出雲市)・大神神社(奈良県桜井市)・物部神社(島根県大田市)・大洗磯前神社(茨城県大洗町)・神田明神 (東京都千代田区)・大國魂神社(東京都府中市)・氷川神社(埼玉県さいたま市)・一之宮貫前神社 (群馬県富岡市)・二荒山神社(栃木県宇都宮市)・日光二荒山神社(栃木県日光市)・大前神社(栃木県真岡市)・高瀬神社(富山県南砺市)・気多大社(石川県羽咋市)・気多本宮(石川県七尾市)・小国神社(静岡県周智郡)・富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市)・諏訪大社(長野県諏訪市、諏訪郡)・南宮大社 岐阜県不破郡)・飛騨一宮水無神社(岐阜県高山市)・日吉大社 西本宮(滋賀県大津市坂本)・建部大社(滋賀県大津市)・砥鹿神社(愛知県豊川市)・出雲大神宮(京都府亀岡市)・愛宕神社(京都府亀岡市)・一宮神社(京都府福知山市)・地主神社(京都府京都市)・大国主神社(大阪府大阪市)・道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)・高砂神社(兵庫県高砂市)・伊和神社(兵庫県宍粟市)・中山神社(岡山県津山市)・飛瀧神社(和歌山県那智勝浦町)・金刀比羅宮(香川県仲多度郡)・八桙神社(徳島県阿南市)・薬師神社 – 全国各地ほか、全国の出雲神社

 

和歌山県に鎮座する「大国主神社」大国主が殺害され再生された鳥取県の「赤猪岩神社」2020年6月にこのブログで紹介した「出雲大社(いずもおおやしろ」今回は出雲大社と並ぶ日本最古の神社 奈良県桜井市に鎮座する「大神神社(おおみわじんじゃ)」を二回に分けて紹介いたします。

 

      大神神社-1 
奈良県桜井市三輪1422 0744-42-6633
創建
記紀によれば、大国主神(大己貴神)は少彦名神とともに国造りをしていたが、大国主が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために、国造りなかばにして少彦名神は常世に帰ってしまった。大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂(和魂)であり、「大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力する」と言った。この神が御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神であるという。この神を祀ったのが、現在の大神神社と言われる。
大神神社は纒向・磐余一帯に勢力を持った出雲ノ神の一族が崇敬し、磐座祭祀が営まれたとされる日本でも古い神社の一つで、神奈備信仰様式をとった神聖な信仰の場であったと考えられる。大穴持命が国譲りの時に、己の和魂を八咫鏡に取り付けて、倭ノ大物主櫛甕玉命と名を称えて大御和の神奈備に鎮座した。これが三輪神社の創始である。(『出雲国造神賀詞』)
祭祀
大神神社は三輪山(三諸山)を神体山として直接、拝するようになっているため本殿をもたず、山中には上から奥津磐座(おきついわくら)・中津磐座(なかついわくら)・辺津磐座(へついわくら)の3つの磐座がある。
拝殿奥にある重要文化財に指定された三ツ鳥居(三輪鳥居)は営造物の中において中枢の地位を占め、明神鳥居の形式の両脇に、脇鳥居が接続し、本柱の他、脇柱が2本、合計4本の柱があり、特異な形式のものである。 三つ鳥居から辺津磐座までが禁足地で、麓の山ノ神祭祀遺跡などからは、古墳時代中期以降の布留式土器や須恵器・子持勾玉・茶臼玉(竹玉)など古墳時代から奈良時代のものが出土した。
三輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川と巻向川にはさまれた地域(水垣郷)でも三輪山を望拝して行われた。 当社の創祀に関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります。また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この様に記紀の神話に創祀の伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神の神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。そして「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神(すじん)天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤く祀られました。平安時代に至っても大神祭(おおみわのまつり)、鎮花祭(はなしずめのまつり)、三枝祭(さいくさのまつり)が朝廷のお祭りとして絶えることなく斎行され、神階は貞観元年(859)に最高位の正一位となりました。延喜式の社ー格は官幣大社で、のちに大和国一之宮となり、二十二社の一社にも列なるなど最高の待遇に預かりました。

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「一の大鳥居」は高さが32.2m 柱間23mもある日本最大級の「大鳥居」です。ここから拝殿までの参道は約1000m在ります。
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「二の鳥居」左手前に酒樽が置かれています・崇神天皇が酒造りを命じ、三輪山の神々に奉納したという伝承があるため、三輪山の神様は「お酒の神・醸造の神」として信仰されています。全国各地の酒造業者が集まった「酒栄講」から、樽酒が奉納されています
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全国の蔵からお酒が奉納されていました。
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二の鳥居  
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二の鳥居から約400mの玉砂利の参道は、鬱蒼と木々が覆いかぶさっています。
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祓戸神社(はらえどじんじゃ)二の鳥居をくぐり、玉砂利の敷きつめられた参道を進むと初めて左に鎮座するのが祓戸神社です。心身を祓い清める神様を祀っています。まずはここでお参りをします。ご祭神は瀬織津比売(せおりつひめ)、 速開都比売(はやあきつひめ)、 気吹戸主(いぶきどぬし)速佐須良比売(はやさすらひめ)の四柱です。
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手水舎。ちょっとした神社の拝殿並みの豪華建築です。
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蛇の口から水が出ています。大神神社には祭神「大物主大神」の化身とされる白蛇が住むと言われています。
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「夫婦岩」二つの岩が仲良く寄り添っています。縁結び・恋愛成就・夫婦円満にご利益があるとされる、霊験あらたかな磐座(いわくら/神様が宿る石)です。
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縄鳥居 左右の2本の柱の間を大注連縄が渡してあります。他の神社ではあまり見られない古代の鳥居です。
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巳の神杉 大物主大神の化身とされる白蛇が棲むことから名付けられたご神木。樹齢500年と言われています。蛇の好物の卵が参拝者によってお供えされています。

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拝殿(重要文化財)は鎌倉時代に創建された。現在の拝殿は寛文四年(1664)徳川四代将軍家綱公によって再建されたものです。白木造りの質実剛健な建物は横が約17m(桁行九間)、縦が約8m(梁行四間)の切妻造(きりづまつくり)で、正面には唐破風(からはふ)の大きな向拝(こうはい)がつき、屋根は檜皮(ひわだ)で葺かれています。
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三ツ鳥居(みつとりい)【別名:三輪鳥居】(重要文化財)
古文書にも「古来一社の神秘なり」と記され、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。三ツ鳥居の起源は不詳で、この鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせた独特の形式で「三輪鳥居」とも呼ばれています。中央の鳥居には御扉があり、三輪山を本殿とすれば、三ツ鳥居は本殿の御扉の役割を果たしていると言えます。
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本殿から左に行けば、平成九年の大造営で竣功した参集殿・祈祷殿・儀式殿 が有ります。
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拝殿向かって左側にある「参集殿」には、かわいい「なで兎」もいます。大物主大神が出雲の大国主神と同一神であるということから、大国主神が因幡の白兔(いなばのしろうさぎ)を助けたという有名な神話も、こちらがウサギと関わりが深いことを表しています。
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祈祷殿の前に建つ「宝物収蔵庫」。古代 祭祀関係の出土品など、多数の貴重な文化財が展示されています。
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3殿の左から南に上がる道が、くすり道と呼ばれています。 薬の神様・狭井神社への参道には多くの薬用植物が育っています。くすり道から右に行くと活日神社が在ります。
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活日神社(いくひじんじゃ) 祭神:高橋活日命
崇神天皇の時代に大神神社の掌酒を務めた名人を祀る。記録に残る日本最初の杜氏であり、酒の神として知られる。崇神天皇時代、疫病流行で国が混乱を極めている中、天皇は夢で大物主大神様(おおものぬしのおおかみさま)から「私の子孫である大田田根子(おおたたねこ)を祭主にし、酒を奉納しなさい」とお告げを受けました。それを聞いた天皇は高橋活日命(たかはしいくひのみこと)を呼び、一夜で酒造りを行い神酒を奉納しました。すると疫病は去り、国が富みはじめました。このことより高橋活日命は杜氏の神様として大神神社の摂社「活日神社」にまつられました。まさに酒が国を救ったのです。その時に高橋活日命が詠んだ詩「此の神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久幾久(この神酒は私が醸したものではなく、大和の国をおつくりになった大物主神が醸された神酒です。幾世までも久しく栄えませ )」
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参道の途中にある小さな摂社「磐座神社(いわくらじんじゃ)」。大物主大神と力をあわせて国土を開発した「祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)」が祀られています三輪山周辺に点在する辺津磐座(神が鎮まる岩)の中心である。
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次週-2に続きます
出典
倭姫命世記および延喜式神名帳の大和国の式内社一覧
桜井市立埋蔵文化センター「三輪山西麓の磐座を訪ねて」
大神神社 (桜井市) (1987). 大神神社社務所
両陛下、皇室ゆかりの大神神社ご参拝
外部リンク
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
大神神社 - 公式サイト
大神大物主神社 - 國學院大學「神道・神社史料集成」
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2020年10月 1日 (木)

奈良県 石上神宮(いそのかみじんぐう)

10月1日の誕生花                 ハギ (萩)
花言葉:              思案、想い、内気

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石上神宮(いそのかみじんぐう)

〒632-0014 天理市布留町384 0743-62-0900 
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石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯で石上神宮は日本最古の神社の一つです。武門の棟梁たる飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。
平安時代後期、白河天皇は当神宮を殊に崇敬され、現在の拝殿(国宝)は天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。
主祭神は、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)、御神体として神武天皇の国土平定に偉功をたてられた神剣「韴霊(ふつのみたま)」、鎮魂にかかわる神宝「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」 、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した神剣「天十握剣(あめのとつかのつるぎ)」をおまつりしています。さらに、古代百済から献上されたとされる七支刀(国宝)をはじめ、 鉄盾、勾玉、管玉など重要文化財に指定されている貴重な宝物が数多く収蔵されています。
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東駐車場

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社号標(しゃごうひょう)
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大鳥居
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手水舎
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神杉
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境内

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境内左に社務所が有る
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社務所の前には二本目のご神木が在る。
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ご神木の隣に「手水」が在ります。

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境内には 石上神宮の神使、鶏 七十二候にちなんで東天紅鶏・烏骨鶏など約30羽が放し飼いされています。
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その上には摂社 出雲建雄神社拝殿( いずもたけおじんじゃはいでん)国宝 が鎮座しています。
元来は内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)の鎮守の住吉社の拝殿でしたが、大正3年に現在地に移築されました。内山永久寺は鳥羽(とば)天皇の永久年間(1113~18)に創建された大寺院で、神仏分離令により明治9年に廃絶したが、その後も鎮守社の住吉社は残されました。その住吉社の本殿も明治23年に放火によって焼失し、拝殿だけが残されたので、当神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿として移築しました。従ってこの建物は内山永久寺の建物の遺構として貴重なものです。建立年代は保延3(1137)年に建立され、その後13・14世紀に2回の改築により現在の構造・形式になったと考えられています。祭神:出雲建雄神(草薙剣の荒魂、縁起では「吾は尾張の氏の女が祭る神である」とあり宮簀媛を示すとされる)。社殿は切妻造、檜皮葺。桁行5間の建物の中央1間分を土間の通路とした「割拝殿」と呼ばれる形式の拝殿である。

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摂社 出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)
草薙剣くさなぎのつるぎの荒魂あらみたまである 出雲建雄神いずもたけおのかみをお祀りしています。

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末社 猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)
主祭神は、猿田彦神(さるたひこのかみ)で、 底筒男神(そこつつのおのかみ)、 中筒男神(なかつつのおのかみ)、 上筒男神(うわつつのおのかみ)、 息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、 高靇神(たかおかみのかみ)を配祀神としてお祀りしています。
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楼門回廊の手前左に緩やかな石段が在ります。

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石段を登れば
神庫(ほくら)が見えます。禁足地の南西の隅に建っている二戸前の校倉(あぜくら)造の建物で、垂仁天皇紀に「天神庫(あめのほくら)」と見えることからも、相当古くから神庫があったことが知られます。 現在の神庫は嘉永4年(1851)に再建されたもので、もとは禁足地の外の拝殿西隣に建っていましたが、本殿建立工事に伴い、明治45年に現在の場所に移築されました。神庫は御神宝を収蔵する庫であると同時に神格の宿るところとされ、毎年12月31日に「神庫祭(ほくらさい)」を斎行して御神宝の御安泰を祈願しています。
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楼門回廊

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楼門(ろうもん)(重要文化財 )棟木に記されている墨書によると、鎌倉時代末期、第96代後醍醐(ごだいご)天皇の文保2年(1318)に建立され重要文化財に指定されています。往古は鐘楼門として上層に鐘を吊るしていましたが、明治初年の「神仏分離令」により取り外され売却されました。
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二重の正面に掲げてある木額の「萬古猶新(ばんこゆうしん)」の字は、明治・大正の元老として有名な山縣有朋(やまがたありとも)の筆によるものです。
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楼門と廻廊

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楼門を入ると左側に 回廊授与所・祈祷受付所が在る

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拝殿 (国宝)  当神宮への御崇敬が厚かった第72代白河天皇が、当神宮の鎮魂祭(ちんこんさい)のために、永保元年(1081)に宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えられています。建築様式の区分では鎌倉時代初期の建立と考えられます。現存する拝殿としては最古のものであり、国宝に指定されています。 なお、文明2年修復、貞享元年上葺、享保18年修補、元文5年上葺、寛政10年修復、安政6年屋根替、計6枚の棟札が現存しています。
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内陣

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禁足地(きんそくち) 拝殿後方の、「布留社」と刻字した剣先状の石製瑞垣(みずがき)が取り囲む、東西44.5m、南北29.5m、面積約1300平方mの地を「禁足地」といい、当神宮の神域の中でも最も神聖な霊域として畏敬(いけい)されています。明治以前は南側の半分強(南北約18m、面積約800平方m)だけで、当神宮御鎮座当初からのものかどうかはあきらかではありませんが、古来当神宮の御神体が鎮まる霊域として「石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)」或いは「御本地(ごほんち)」「神籬(ひもろぎ)」などと称えられてきました。
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本殿 当神宮の御神体である神剣「韴霊(ふつのみたま)」が禁足地の土中深くに祀られているという伝承があったため、明治7年8月に当時の大宮司 菅政友(かんまさとも)が官許を得て調査したところ、多くの玉類・剣・矛などが出土すると共に神剣「韴霊」が顕現され、伝承が正しかったことが証明されました。その後、明治43年から大正2年にかけて神剣「韴霊」を奉安するために本殿を建立し、この折に禁足地を北側に拡張、そして当時拝殿西隣にあった神庫(ほくら)を禁足地内の南西の隅に移築して、現在の状態に整えられました。神剣「韴霊」が顕現された地点は本殿と拝殿との間で、現在大きな石を置いて標示してあります。また、神剣と共に出土した玉類などは、その多くが重要文化財に指定されています。

御祭神
布都御魂大神ふつのみたまのおおかみ 御神体の布都御魂剣ふつのみたまのつるぎに宿る神霊
布留御魂大神ふるのみたまのおおかみ 十種神宝に宿る神霊
布都斯魂大神ふつしみたまのおおかみ 天羽々斬剣あめのはばきりのつるぎに宿る神霊

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天神社・七座社たくさんの神様が祀られている摂社です。拝殿の向かいの少し高い位置にあります。

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天神社(てんじんじゃ)祭神: 高皇産霊神、神皇産霊神
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七座社(ななざしゃ)祭神: 生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神、大直日神
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その他の末社
神田神社 祭神: 高倉下命
祓戸神社 祭神: 祓戸大神(聖域につき神職者以外は参拝不可)
恵比須神社 祭神: 事代主神 - 境外末社

七支刀(国宝)古墳時代の作で、石上神宮伝世品。両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。金象嵌で記された銘文の中に「泰□四年」の年紀があるが、「泰和」と解釈して「太和4年(369年)」に比定する説があり、その頃の百済での作と推定される。かつては神剣渡御祭(でんでん祭)で持ち出され、祭儀の中心的役割を果たした。1949年(昭和24年)5月30日に国の重要文化財に指定、1953年(昭和28年)11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定されました。

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出典
『日本「神社」総覧最新版』(新人物往来社)
『石上神宮』(1999年、石上神宮社務所)
和田萃編『古代を考える 山辺の道 古墳・氏族・寺社』
(石上神宮禰宜白井伊佐牟、1999年、吉川弘文館)
『週刊朝日百科 日本の国宝』8号(石上神宮 天理大学)

関連項目
布都御魂剣
十種神宝

外部サイト
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
石上神宮 - 公式サイト
石上坐布留御魂神社 - 國學院大學神道・神社史料集成」

 

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10月の新作はもちろんハロウィン~🎃🎵

    色々なハロウィンモチーフがプリントされた

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2020年9月24日 (木)

JR和歌山線ー2 葛城一言無主神社

9月24日の誕生花 チョコレートコスモス

花言葉:         恋の終わり、恋の思い出
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葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)
奈良県御所市森脇432  0745-66-0178
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葛城一言主神社の創建年代は定かではないが国史によると、初見は879年の文徳実録。850年に葛木一言主神の神階が正三位に昇格した旨の記載がある。この地は一言主神が神降りた場所だと伝わる。古事記(雄略記)によると雄略天皇が葛城山中に狩りに出かけた時、天皇と同じような装束で同じように伴の者を引き連れた一行に出くわした。天皇は、「日本国において君主は私一人なのだが、そのような形でいくのは、誰であるか?」と問わせた。その主は、天皇の言ったままを返した。天皇は非常に怒って弓を番えて構えると、相手も同じように弓を番えて構える。天皇は、「ならば、それぞれ名を名を名乗ってから戦おう」と言ったので、その主は「私は悪い事も一言、善い事も一言、」言い分ける神である葛城の一言主の大神だ」と明かした。このように、一言主神が現人神として現れた様子とその神格を描いている。その後、天皇は大いに畏まって大刀・弓矢・衣服などを一言主神に贈り、一言主神も喜んで、天皇を麓まで送ったという。地元では「いちごんさん」と呼ばれ、一言の願いであれば何でも聞いてくれる神様として親しまれている。
祭神は、葛城之一言主大神と幼武尊の2座である。
一言主大神(ひとことぬしのおおかみ)を祭る神社は、全国に約100社ありますが、奈良の一言主神社はその頂点に立つ「総本社」に当たります。
   一の鳥居 右に駐車場が有ります
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一の鳥居の横に蜘蛛塚がある。この一言主神社には、合計3箇所に蜘蛛塚がある。
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鳥居から真っ直ぐに伸びた参道は、木々に囲まれています。12_20200604113201

参道石段右下に祓戸社がある。
祭神は、瀬織津比売命。大祓詞に登場する速い川の瀬で穢れを流してくれる神と謳われる。
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         石段参道
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  社号標       神橋と参道
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  石段階段を上り詰めた右側に
社務所がある。
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      全部ゴム印の御朱印
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一言主神社の拝殿  大きな唐破風造りの拝殿で、手を合わせたら願いは一言でお願いします。願い事は「他言無用」自分と神さまだけの秘密です。
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拝殿内の 賽銭箱の前に立って見上げると、鏡が架けられていて小生の姿が映っていました。
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    拝殿前の扁額
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        流造りの本殿

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乳銀杏(宿り木)本殿前にあるご神木「乳銀杏」は、推定樹齢1200年の大木です。乳銀杏の名の由来は、その見た目にあります。幹回り3m、高さは20m。この木に祈願すると、子宝に恵まれ、お乳の出が良くなると伝わります。白い蛇が住みついているともいわれ、人々の信仰を集めています。
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 二か所目の蜘蛛塚は鳥居横よりひと周り大きい
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ボケ封じ  
至福の像  後に禁煙の標識が有りました
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宝来石 メノウの原石「お金が貯まる」という霊石です。
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拝殿の右手に 
一言稲荷神社が鎮座しています。 祭神は保食神(うけもちのかみ)
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拝殿左手に置かれている子持石。子宝に恵まれる
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境内社 左から
市杵島神社(いちきしまじんじゃ)
天満社(てんまんしゃ)
住吉社(すみよししゃ)
八幡社(はちまんしゃ)
神功皇后社(じんぐうこうごうしゃ)
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市杵嶋姫神社 市杵嶋姫命を祀っています。(弁財天との習合した、財宝の神・芸能の神)。
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   天満社 菅原道真公を祀る。学問の神。
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住吉社 住吉大神が祀られる。住吉三神、海の神である。
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    八幡社と神功皇后社の合祀殿。
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亀石 災いをもたらす黒蛇を「役行者」(えんのぎょうじゃ)」が退治し、その上に置いたと伝わる霊石。
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     雄略天皇と葛城山の大猪
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出典
池田末則「葛城坐一言主神社」
木村芳一「葛木坐一言主神社」
外部リンク
ウィキペディア
葛城坐一言主神社 - 御所市観光協会
葛城一言主神社 - 奈良県神社庁
葛木坐一言主神社 -

 

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                            9月の新作カラー
   秋らしい古典小紋柄のトンボ・唐草・青海波・
    矢羽根がパッチワーク調にプリントされた

        落ち着いたカラーの和モダンな生地で

         大きな結帯風のリボンを作りました。
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リボンの端には大き目のラインストーンがキラリ☆
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             【古典蝶々】 ¥1650(税込)

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