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国内旅行記

2021年3月 4日 (木)

高天原・天孫降臨ー6 伯耆国 蒜山説-3 倭文神社

3月4日の誕生花           スイセン (水仙)

花言葉:      神秘、自己愛、自惚れ
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今回から「高天原 天孫降臨 蒜山説」

に関わる、小生が現地探訪した神社を

ご紹介します。

 

倭文神社   (しとりじんじゃ)

 鳥取県 湯梨浜町大字宮内754, · 

倭文は「しとり」と読み、古来存在していたしづおりという織物のことを指します。

創立年代は不詳ですが、社伝によれば倭文部の祖神建葉槌命に当地と関係の深い下照姫命を加えて祭神としたもので、他の五柱の神は大国主命の御子神か関係の深い神々です。下照姫命は大国主命の娘として生まれました。農業や医療の技術に長けており、大国主命と力を合わせて出雲の国づくりに励みました。そんなおり、天照大神は天稚彦という神を遣わし出雲の国譲りを要求しました。ところが天稚彦は下照姫命と恋に落ち、復命することはありませんでした。しかし下照姫命と天稚彦との幸せな日々は続かず、天稚彦は天照大神から遣わされたキジを射殺したことが原因で、天照大神により射殺されてしまいました。下照姫命は夫の死、国譲りによる出雲との別離などを乗り越え、一匹の海亀によりここ伯耆国宇野の海岸に導かれました。そのまま現社地に住を定め、当地で死去するまで安産の指導、農業開発、医療普及等に努めたとされています。氏子である宮内に住む人々は下照姫命の従者の祖先だとされており、さらに周辺にある亀石、宮戸弁天、出雲山といった場所は縁の深い地である、とされております。

神社入り口手前の 右道端に安産岩が有ります。 
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次に夫婦岩が有ります

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まだ山を登ると倭文神社の
社頭に突き当たります。

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                    境内図
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石段を上がると正面に白い鳥居が有ります。
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鳥居扁額には「伯耆国一宮倭文神社」と書かれている。

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鳥居をくぐると正面に随神門。左に由緒板が有ります。

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          髄神門

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          随神像

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          参道

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随神門をくぐり参道をゆく。境内はスギ、クスノキ、広葉樹などの巨木の森。右に大きな石が有りましたが何の石かわかりませんでした。

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国指定史跡「経塚」の説明板。

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直径3mほどの穴の周りをコンクリート柱で囲んでいる。

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境内に戻ると左に大きな手水舎があります。

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右に赤瓦屋根の社務所と御札授与所があり御朱印はここでいただけます。

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正面に薄黒茶屋根の横広い拝殿が鎮座しています。

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          拝殿内陣

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本殿 社殿は流造だが、鰹木は3本、千木は男千木という出雲系。御神紋は二重亀甲に三つ菱。方角は南を向いています。主祭神: 建葉槌命(たけはづちのみこと) 配祀:下照姫命 外五柱(したてるひめのみこと)

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     猫好きの方必見です

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       ☆NEW ARRIVAL☆

前回の和柄リボンが大変好評を頂きましたので、

    今回は和風模様のバンダナを作りました♪

   市松・麻葉・亀甲・うろこの4種類をご用意。



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バンダナにはキラキラのラインストーンを3個✨

ブラックで縁取りシャープなイメージに仕上げました

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    【和柄バンダナ】¥1650(税込)

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2021年2月25日 (木)

高天原・天孫降臨ー6 伯耆国 蒜山説-2

2月25日の誕生花    ハナカイドウ (花海棠)

花言葉:            温和、美人の眠り
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因幡・伯耆国は今日で言う出雲国の隣です。伯耆国はもとは出雲国と同じスサノオ大国主の命が支配していました。もと出雲の国ならばスサノオや大国主がいた痕跡(祭られている神社)が残っているはずです。宮崎県には少ないが伯耆国は多い(387社中 素戔嗚 199社・大国主 89社)です。もと出雲国の伯耆国を天孫族に国譲りしました。国譲りの交渉に2番目に派遣された天稚彦命は大国主の命の娘の下照姫命と結婚して8年間帰って来ませんでした。結婚して伯耆国の倉吉駅の近くの大平山近辺に住んでいました。天稚彦命と下照姫命の祭られている神社は希少ですが倭文神社(しとりじんじゃ)(旧舎人村 湯梨浜町宮内754) 
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と 波波伎神社(倉吉市福庭)に祭られています。
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 波波伎(ハハキ)とは櫛稲田姫命が「母来ませ」と助けを求めたところからきています。波波伎神社の横を流れる天神川の上流の坂本の神社には櫛稲田姫命の両親が祭られています。箸の流れるのが分かるほどの支流です。途中、大瀬ほうき(ハハキが訛ってほうき=伯耆になった)という地名も残っています。大平山の麓には後に 天孫降臨の{ニニギの命」が東倭を征伐し浦が安くなるように建立したと伝のある上里神社があります。
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 『尊卑分脈』に引く藤氏大祖伝に、藤原不比等は山科の田辺史大隈の家で養育され、史(ふひと)と名づけられたと記されている。百済系史官とは、田辺史・書首・船史らのことをいうが、当時の最大権力者藤原不比等(史を不比等に改めた)が、百済系史官のバックにいたことは当然考えられる。不比等は大宝律令の撰定者でもあったが、『続日本紀』に、藤原不比等ら撰定者に録を賜うとあり、その中に田辺史百枝・田辺史首名の名がみえる。田辺史から選ばれているのは、田辺史に養育された不比等の援助によるものであろう。大宝律令の撰定に百済系史官を使っているのだから、『日本書紀』の編纂にも藤原不比等の息のかかった百済系史官を使ったものと思われる。百済系史官が『日本書紀』の編纂における中心的役割を果たしていた。山上憶良は百済人であり百済系史官であった。

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  白村江の戦で敗れた朝廷は都を大津に移し、百済の王族を宮崎県に逃がしている。当時の最大権力者である藤原不比等も百済系である。藤原不比等の息のかかった百済系史官が『日本書紀』の編さんにおける中心的役割を果たしていた。藤原不比等は自分たちに関係する百済の王族のいたところを天孫降臨の地にしたかったのである。それが天武天皇の命で編さんされた古事記を改ざんし、長い間消し去っていた動機である。古事記は 712年に発表されたが長い間消し去られていた。 古事記を見て天孫降臨の地が伯耆国であると知った藤原不比等は 716年に史誌編さんに携わっていた「山上憶良(やまのうえのおくら
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奈良時代初期の下級貴族出身の官人であり、歌人として名高く、万葉集に80首の歌が収められている。660年頃の生まれと推定され、粟田朝臣の同族で、天足彦国忍人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫とされる説と朝鮮半島からの渡来人である。憶良は、42歳で遣唐使書記に抜擢され、貴族になったが、出世に恵まれず、54歳の時に上級官人になり、716年(霊亀2年)に57歳で初めての国司として、伯耆守に任命された。その後、726年(神亀3年)ごろに67歳で筑前守として赴任。その地で大宰府の長官に着任した大伴旅人(大伴家持の父)と交流があった】【大伴旅人(おおとも の たびと)は飛鳥〜奈良時代にかけての人物です。665年に生まれ731年に67歳でなくなりました。新元号「令和」の発表では、大伴旅人の名前の他に、「太宰府(だざいふ)」という名称も話題になりました。Photo_20201021073001

これは旅人が728年、九州地方の政治の統括や、大陸からの防衛などの任務を担っている太宰府の長官(大宰帥=だざいのそち、と言います)に任命され、今の福岡県太宰府市に赴任した事がきっかけとなっています。

山上憶良は(天孫降臨の地の移転目的で)古事記の内容の確認と調査のため伯耆国の国司(国庁は倉吉市国府)に派遣する。好きな万葉の歌一首をつくることもせず、調査に専念している。伯耆国の調査報告を受けた藤原不比等は古事記の記述をもとに百済色に改ざんして日本書紀などの史誌を編さんした。その後日本書紀は 720年に発表されその年に藤原不比等も亡くなった。翌721年に山上憶良は朝廷へ帰った。5年後の 726年再び筑前の国司として九州に行く。 大伴旅人(九州全体の長官)と仲良くなり、日本書紀などの史誌に合うように 九州の地名・神社の創設・神楽の創設をしていった。

 

 九州の記紀伝説は伯耆国の地名を変えただけのものです。八幡神社を各地に作って既存の神社の存在感を希薄にしたのもこの頃である。伯耆国にあった神社を目立たないようにしてきた。延喜式神名帳(927年)に記載されている神社で鳥取県は僅かに48社であるが 因幡国42社で特に伯耆国は6社にしか過ぎない。この頃因幡には 250社、伯耆は 240社位あったそうである。因幡と伯耆の祭神を見ると、因幡は古事記による神名が多いのに反し、伯耆は日本書紀による神名が多い(鳥取県神社誌昭和9年刊)。日本書紀編さんに携わっていた者の影響が残っている。北栄町上種・茶屋条の西の丘の上にある大宮神社は鳥取県神社誌には載っていない。造りは新しいが上種・茶屋条の住民はずっと昔からこの場所にあって管理してきたそうである。住民の記憶までは消すことが出来ない。

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 ニニギの尊は高千穂に立たれて「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、と古事記には書かれている。「韓国に向かい」で論争になったが、対馬海流にのると朝鮮半島からは流されるように鳥取県や丹後半島に着きますよと、とらえればよい。古くから朝鮮半島からの渡来人が多く漂着したところです。当時は海岸線が4m高く、リアス式海岸であり笠形の砂地を先頭にして、北栄町の瀬戸から亀谷・津原・穂波・原まで巻くような大島を中心とする大きな天然の良港があった。今でも葦が茂っており葦原中津国である。「朝日は直にさし、夕日は日照る」地である。そして現在の地方名も「中国地方」の呼び名が残っています。

北栄町の松神と下神の北側にはニニギの命とコノハナサクヤヒメが出会った三輪山があった。今は崩されて丘だけとなり三輪神社跡の石碑が残るのみであるが、三輪神社にはニニギの命(日向御子)が祭られていたのではないか。松神神社には神阿多都比売(コノハナサクヤヒメ)がまつられている。

 縄文海進で海面が百数十メートル上昇すれば蒜山のような高いところに逃げるのは本能である。その後国譲りで蒜山から鏡ヶ成(猿田彦が鏡を使って連絡をした場所)を通ってすぐ下の関金に降りてきた。幼少期のニニギの命は関金(三ヶ所の神社に祭られている、神田神社 関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、

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松尾神社矢送神社 旧矢送村 関金町山口447番、

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日吉神社 関金町関金宿325番)

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で成長し上福田(楯縫神社)に移り、その後上種(大宮神社)に御所を築いた。関金からほぼ真北に移動している。大宮(上種)以前(関金、上福田)は山影の場所ばかりで大宮(上種)を「日当たりの良い地である」と言ったのはもっともである。 もと出雲国であり天孫に譲られた国、天孫降臨の地は伯耆国である。ニニギのお供の者も北栄町の大宮を中心に自然な距離に祭られている(天児屋根命は穂波神社に祭られていた)。天太玉命は方見神社(琴浦町上伊勢100番地)

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に石凝姥命は倉坂神社(琴浦町倉坂1229番)に

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天手力雄命は神郷神社(琴浦町大杉887番)に、
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天鈿女命は上里神社にまつられている。
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コノハナサクヤヒメもニニギの尊のおられた大宮神社と同じ丘陵の少し下ったところにある亀谷神社
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祭られています。行き来するのに自然な距離です。また産屋があったと思われる高江神社が隣の丘にあります(コノハナサクヤヒメを祭る子安神社)。

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 天孫族には産屋の習慣がありました。川ひとつ挟んだ隣の丘に産屋をこしらえて、そこでお産をし、一ヶ月はそこですごす。コノハナサクヤヒメは身の潔白を証明するために産屋に火を放ってお産をしたそうです。また、玉依姫は産屋を作るのが間に合わなかったため、その子の名前はウガヤフキアエズという名前になりました。このように、天孫降臨の地は産屋の仕来たりのあるところでなくてはならないのですが、九州沿岸にはこの仕来たりはないそうです。日本海沿岸にはつい最近までこの仕来たりが残っていたそうです。

 

  やすみししわご大君の食国(おすくに)は倭(伯耆国を含む出雲)も此処(九州)も同じとぞ思ふ -大伴 旅人父母を 見れば貴し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より 成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君います この照らす 日月(ひつき)の下は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み 蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極(きは)み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか 山上 憶良父母を見れば尊い。妻子を見れば可愛くいとおしい。世の中の道理はこうしたもの、黐(モチ)にかかった鳥のように家族への愛情は断ち切り難い。行末も分からぬ我等なのだから。穴のあいた靴を脱ぎ捨てるように父母や妻子を捨てて行くという人は、非情の石や木から生まれた人だろうか。あなたの名前(大伴旅人)をおっしゃい。天へ行ったなら、あなたの思いのままにするのもよかろうが、この地上ならば、大君がいらっしゃる。この太陽と月が照らす下は、雲の垂れる果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、大君のお治めになるすぐれた国土なのだ。

出典

高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説  
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/

佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説
古事記・日本書紀の高天原は岡山県真庭市の蒜山である、とする。
田村誠一氏、vetty氏の天孫降臨地=伯耆国説
http://ysaino11.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

 

次週に続きます


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 チョコレートストライプのお襟が付いたカラーに

  チョコレートドットのネクタイを付けました♪
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   ネクタイの先にはラインストーン✨

お色はオレンジチョコとミントチョコの2色です。
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2021年2月18日 (木)

高天原・天孫降臨ー6 蒜山、天孫降臨地=伯耆国説-1

2月18日の誕生花  キンギョソウ (金魚草)

花言葉:  おしゃべり、清純な心

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高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説

 

高天原の主役は天照大御神である。蒜山高原に鎮座する6神社は、すべて「天照大御神」を祀っている。 高天原には「三貴神」以前の神々も居なければ成らない。蒜山周辺には旧石器時代・縄文時代の遺跡が発掘されており、天照大御神以前の神々もいた.。

  蒜山   長田神社に ニニギが祀られている

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ニニギと神武天皇が祀られている
 加茂神社

加茂神社--八束村 岡山県真庭市蒜山下見1255 電話番号  
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201407130000/
御祭神
別雷命(かもわけいかづちのみこと)神道の神
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
神日本磐余彦命(かむやまといわれびこのすめらみこと)神武天皇
天照大神
阿鋤高日子根命(あじしきたかひこねのかみ)


合祀された神社と祭神は次の通り。

下見の八幡神社・・・品陀別命(ほむたわけ)
美田野の大山祇神社・・・大山津見命(おおやまつみ)
定広の狭田神社・・・佐田比古命(さたひこ)
定広の山祇神社・・・大山祇命(おおやまつみ)
定広の横呂神社・・・大巳貴命(おおなむち)
定広の須崎神社・・・経津主命(ふつぬし)、武甕槌命(たけみかづち)
荒神谷の水戸神社・・・速秋津比古命(あきつひこ)、速秋津比賣命
荒神谷の大真木神社・・・句句廼馳命(くくのち)
山城の大山祇神社・・・大山津見命(おおやまつみ)
山城の愛宕神社・・・軻遇突智命(かぐつち)
大下見の坂根神社・・・下照比賣命(したてるひめ)
大下見の稲荷神社・・・倉稲魂命(うかのみたま)
大下見の荒宮神社・・・木花佐久夜日賣命(このはなさくやひめ)
大下見の金山神社・・・金山比古命(かなやまひこ)
大下見の塞座神社・・・来名戸神(くなどのかみ)

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全国の13ヶ所の高天原候補地の中で、諸条件が整うのは蒜山だけである。ニニギも神武天皇も蒜山にいたのであり、高天原は蒜山(但し、鏡ヶ成も含む)であった。ニニギも神武天皇も蒜山(高天原)から鳥取県中部(倭国)に降臨した。

 

出典

真実の古代史 by サイの尾・猿田彦 http://ysaino11.blog.fc2.com/blog-entry-129.html より


『古事記』は編纂1308年を迎えました。皇紀2681年 『古事記』に登場する神話は、『出雲神話』がおよそ三分の一を占めており、中でも須佐之男命 のオロチ退治は全国的にも有名です。
高天原から見ると 葦原中国(あしはらのなかつくに)は現在の中国地方で、島根県松江市東出雲町に有る〈黄泉国〉または〈根の国〉にそれぞれ相当する。〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界である。また素戔嗚尊が降臨した地も少し離れた奥出雲(現在の島根県)で父神の命令を聞かず、亡き母に会いたいと泣き続ける須佐之男命 を父神は追放します。素戔嗚尊は姉である日の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)のいる高天原(たかまがはら)に行きますが、そこでも散々乱行を働いたために天照大神は岩屋戸に隠れてしまいます。日の神が隠れたことにより世界は暗闇となり災いが訪れ、これは大変と高天原の八百万(やおよろず)の神たちは計略をもって天照大神を岩屋戸から引き出し、スサノオを追放します。またもや追放された須佐之男命が降臨したのが、出雲国(現:島根県)東部の奥出雲町に在る鳥髪峰(現:船通山)という地でした。(出雲市を流れる斐伊川の源流)そこからしばらく行くと、美しい娘「奇稲田姫(くしなだひめ)」と老夫婦が泣いており、聞けば恐ろしいヤマタノオロチに娘が食われてしまうといいます。須佐之男命 は娘を嫁にもらうのと引き換えに、ヤマタノオロチを退治することになりました。それに隣接する安来市は彼が地名をつけたという風土記の記述もある。
岡山県真庭市に鎮座する「茅部神社」の山を登ったところ。天岩戸、真名井の滝、天の浮橋等がある。

 

出典
ウィキペディア
高天彦神社
古事記・日本神話の伝承地~高天原史跡ガイド

 

学生時代 高天原は「宮崎県の高千穂」だと習った記憶がある。


だが小生が高千穂を訪れて多くの疑問を感じた。何故「葦原の中つ国」つまり 日本の中心が九州の宮崎なのか  現在の山陰地方 出雲の大国主から 国譲りを受けた地が何故 宮崎県なのか?
  

大国主の次男「建御名方命(たけみなかたのみこと) 」【地上の国・葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めていた大国主命の元に、国を譲るよう高天原から建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ) が遣わされます。大国主命は自分ではなく二人の息子・建御名方神と事代主(恵比寿)に交渉するように言い、建御名方神はタケミカヅチノ大神に力比べで国譲りの有無を決めることを提案します。しかし、タケミカヅチノ大神はとても強く、手を握りつぶされた建御名方神は命からがら逃げ出します。

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やがて現在の長野県・信濃国の諏訪湖まで追い詰められた建御名方神はもう諏訪から出ないことを条件に許され、諏訪地域に祀られることになりました。 国譲りに際して、なぜ出雲の国に逃げずに長野まで逃げたのか。

  建御名方命が祀られている 諏訪大社 本宮
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現在の島根半島
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くにびき神話の島根半島
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古代の島根半島
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島根県松江市美保関町の島根半島東端に、鎮座する美保神社は大国主命(だいこく様)の長男、事代主命(えびす様)とその母神三穂津姫命をお祀りする二殿連棟(美保造り)の特殊なお社です。

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国譲りの島根半島東端の美保神社で 今も行われる青柴垣神事は大国主神がその言葉通り国土を奉献されたと伝えられる「国譲り」の故事に因む神事で、事代主命の恭順忠誠のご事蹟を偲び、海中に青柴垣の御船を浮かべて奉仕される珍しいお祭りです。

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天照大御神を祀る神社は鳥取県に110社あるが、その中で伯耆国は87社(79%)、因幡国は23社(21%)である。総神社数は因幡国のほうが多いが天照大御神を祀る神社は鳥取県中西部が圧倒的に多い。

天孫降臨に関係する鳥取県中部の神社の祭神

神社名と住所は鳥取県神社誌(昭和9年刊)に基づいています。合併(大正時代)までの神社も挙げています。

小生は検証のため下記の神社を訪ねました。

波波伎神社 (ハハキジンジャ) 
 鳥取県倉吉市福庭654番 

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上里神社(うえさとじんじゃ)
 鳥取県倉吉市清谷1217 《主》天児屋根命

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大原神社(おおはらじんじゃ) 鳥取県倉吉市大原619

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神田神社            
鳥取県倉吉市関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、

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矢送神社   鳥取県倉吉市関金町山口447番地、

日吉神社    鳥取県倉吉市関金町関金宿325番

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松河原神社   鳥取県倉吉市関金町松河原133-2 


倭文神社 (しとりじんじゃ/しずりじんじゃ)
 鳥取県東伯郡湯梨浜町大字宮内754 

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松崎神社  鳥取県東伯郡湯梨浜町松崎566番

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松神神社 (まつかみじんじゃ)
 鳥取県東伯郡北栄町松神796 神阿多都比売

亀谷神社
 鳥取県東伯郡北栄町亀谷680 木花之佐久夜比売命

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高江神社 (たかえじんじゃ)  
 鳥取県東伯郡北栄町由良宿978  産屋があったと思われる

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方見神社 (かたみじんじゃ) 
 鳥取県東伯郡琴浦町上伊勢99 天太玉命

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倉坂神社 (くらさかじんじゃ)

鳥取県東伯郡琴浦町大字倉坂1229番 石凝姥命

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神郷神社  鳥取県東伯郡琴浦町大杉887  天手力雄命

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大宮神社 (おおみやじんじゃ)鳥取県東伯郡三朝町大瀬370 

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日御碕神社 
  鳥取県西伯郡南部町三崎(祭神 うけいの八神)

野上荘神社 
 鳥取県西伯郡伯耆町福吉264(祭神 うけいの八神)



第1次(紀元前185年頃)の降臨神が祀られている神社


(1)饒速日命 神田神社(南谷村泰久寺) 日吉神社(矢送村関金)ー祭神は瓊瓊杵尊にしてあるが、本来は饒速日である。


(2)經津主神 倭文神社(北谷村志津)井手畑神社(上北条村井手畑)


(3)建御雷神(武甕槌神) 岩崎神社(由良町妻波)春日神社(古布庄村宮場)


(4)天照大神 神田神社(南谷村泰久寺)新宮山神社(西郷村下余戸)牧神社(旭村牧)国主神社(舎人村北福)上古川神社(上小鴨村上古川)上市神社(高城村河来見)灘手神社(灘手村穴沢)方見神社(市勢村上伊勢)野田神社(上郷村野田)日御碕神社(下中山村御崎)


(5)月読命(保食神) 賀茂神社(旭村森)波波伎神社(日下村福庭)稲荷神社(小鴨村岡田)秋喜神社(小鴨村秋喜)服部神社(高城村服部)上米積神社(高城村上米積)中山神社(上中山村東積) ※ 方見神社の祭神に稲荷神とある。桜神社(高城村桜)風宮神社(高城村岡)


(6)稚産霊(和加産巣日神) 中尾神社(伊勢崎村中尾)神郷神社(上郷村大杉)倉坂神社(上郷村倉坂)中山神社(上中山村東積)


(7)豊受姫(倉稲魂命) 大原神社(倉吉町大原)新宮山神社(西郷村下余戸)立原神社(西郷村上余戸)天高神社(西郷村八屋)伊木神社(西郷村伊木)山根神社(西郷村山根)山田神社(三朝村山田)森村崇敬神社(旭村森)鎌田神社(旭村鎌田)今泉神社(旭村今泉)玉阪神社(竹田村曹源寺)西小鹿神社(小鹿村西小鹿)岩伏神社(橋津村橋津)市場神社(小鴨村市場)菅原神社(小鴨村菅原)長坂神社(小鴨村東鴨)中河原神社(小鴨村中河原)谷口神社(上小鴨村耳)広瀬神社(上小鴨村広瀬)湯関神社(矢送村関金)中野神社(北谷村中野)三江神社(北谷村三江)三輪神社(下北条村土下)子守神社(大誠村六尾)高江神社(由良町由良宿)満利山神社(古布庄村杉地)田越神社(八橋町田越)井出上神社(成美村出上)成美神社(成美村太一垣)柴尾神社(以西村山川)湯坂神社(安田村湯坂)下甲神社(下中山村下甲)賀茂神社(下中山村羽田井)中山神社(上中山村東積)高岡神社(上中山村退休寺)


(8)天忍穂耳(大物主・大国主命) 三輪神社跡(下北条村下神)大原神社(倉吉町大原)賀茂神社(旭村森)神田神社(南谷村泰久寺)大和山神社(灘手村別所)照国神社(下郷村美好)古布庄神社(古布庄村別宮)下見神社(古布庄村三本杉)神郷神社(上郷村大杉)


(9)天穂日 大原神社(倉吉町大原)恩地神社(旭村恩地)松崎神社(松崎村松崎)田内神社(倉吉町巌城)


(10)伊斯許理度売命(石凝姥命) 倉坂神社(上郷村倉坂)

(11)天児屋根命 今泉神社(旭村今泉)上里神社(日下村清谷)長瀬神社(長瀬村長瀬)矢送神社(矢送村山口)垂井神社(社村大谷)三輪神社(下北条村土下)穂波神社(大誠村穂波)下郷神社(下郷村下大江)春日神社(古布庄村宮場)春日神社(下中山村赤坂)


(12)天太玉 長瀬神社(長瀬村長瀬)矢送神社(矢送村山口)中尾神社(伊勢崎村中尾)


(13)天手力男 神郷神社(上郷村大杉)

(14)玉祖命 長瀬高浜を終の棲家としそこで玉を造っていた。羽合歴史民俗資料館では2200年前の遺跡であるとする。


(15)天石門別神 神郷神社(上郷村大杉)倉坂神社(上郷村倉坂)


(16)思兼命 松尾神社(花見村野花)

(17)天宇受売命 上里神社(日下村清谷)長瀬神社(長瀬村長瀬)灘郷神社(泊村泊)


(18)猿田彦 山根神社(西郷村山根)幸能鶴神社(竹田村穴鴨)小鹿神社(小鹿村東小鹿)中津神社(小鹿村中津)東郷神社(東郷村小鹿谷)梶屋神社(橋津村下橋津)宮本神社(橋津村上橋津)灘郷神社(泊村泊)松神神社(下北条村松神)田村神社(下北条村島)三輪神社(下北条村土下)船内神社(上北条村下古川)金刀比羅神社(由良町由良宿)神郷神社(上郷村大杉)


 

第2次(紀元前160年頃)の降臨神が祀られている神社


 瓊瓊杵尊は日向(葦原中津国)のクシフルタケ(北栄町の亀谷丘陵の大宮神社)に天降った。


(1)瓊瓊杵尊 上里神社(日下村清谷)矢送神社(矢送村山口)楯縫神社(高城村上福田)大宮神社(栄村上種)三輪山(下北条村下神)照国神社(下郷村美好)


(2)木花之佐久夜毘売 笏賀神社(旭村笏賀)松尾神社(花見村野花)国府神社(社村国府)亀谷神社(栄村亀谷)松神神社(下北条村松神)高江神社境内社(由良町由良宿)麻布神社(古布庄村古長)大正神社(古布庄村中津原)


(3)猿田彦 山根神社(西郷村山根)幸能鶴神社(竹田村穴鴨)小鹿神社(小鹿村東小鹿)中津神社(小鹿村中津)東郷神社(東郷村小鹿谷)梶屋神社(橋津村下橋津)宮本神社(橋津村上橋津)灘郷神社(泊村泊)松神神社(下北条村松神)田村神社(下北条村島)三輪神社(下北条村土下)船内神社(上北条村下古川)金刀比羅神社(由良町由良宿)神郷神社(上郷村大杉)

 

国を譲った「鴨族神」が祀られている神社


(1)大国主 大宮神社(三朝村大瀬)三朝神社(三朝村三朝)坂本神社(三徳村坂本)小鹿神社(小鹿村東小鹿)神倉神社(小鹿村神倉)東郷神社(東郷村小鹿谷)松尾神社(花見村野花)国主神社(舎人村北福)小鴨神社(小鴨村大宮)長坂神社(小鴨村東鴨)上小鴨神社(小鴨村鴨河内)広瀬神社(上小鴨村広瀬)日吉神社(矢送村関金)山守神社(山守村今西)山長神社(北谷村森)横田神社(社村横田)服部神社(高城村服部)尾原神社(灘手村尾原)三輪神社(下北条村土下)金刀比羅神社(由良町由良宿)大宮神社(栄村上種)亀谷神社(栄村亀谷)照国神社(下郷村美好)長田神社(下郷村光好)天乃神奈斐神社(赤崎町赤崎)中山神社(上中山村東積)


(2)事代主 波波伎神社(日下村福庭)松尾神社(花見村野花)国主神社(舎人村北福)楯縫神社(高城村上福田)福積神社(高城村福積)西園(大誠村西園)亀谷神社(栄村亀谷)倉坂神社(上郷村倉坂)福留神社(赤崎町赤崎)松谷神社(赤崎町松谷)亀崎神社(赤崎町東松谷)大石神社(成美村勝田)前原神社(安田村八幡)


(3)健御名方命 波波伎神社(日下村福庭)小鴨神社(小鴨村大宮)上古川神社(上小鴨村上古川)湯関神社(矢送村関金)諏訪神社(八橋町八橋)


(4)下照姫(高姫) 波波伎神社(日下村福庭)倭文神社(北谷村志津)


(5)天稚彦命 波波伎神社(日下村福庭)矢野宮神社(灘手村寺谷)


(6)阿遅鋤高日子根神(別雷神) 賀茂神社(旭村森)今泉神社(旭村今泉)波波伎神社(日下村福庭)松尾神社(花見村野花)賀茂神社(倉吉町葵町)楯縫神社(高城村上福田)大宮神社(栄村上種)

 

 私 見

月読命は鳥取県琴浦町槻下(月下)に降臨した。豊受姫も槻下に降臨したと推定したが、鳥取県神社誌の鳥取県中部の神社に両者とも祭神になっていない。なぜだろうか。宇迦之御魂命は須勢理姫でありながら稲荷神とされていた。それでは、倉稲魂命や保食神も稲荷神とされているが、実は女神だったのではないか。


倉稲魂命は読みも「うがのみたま」という読みにされており、宇迦之御魂命と同一神であるという説もあるが、「花園稲荷神社(忍岡稲荷)の祭神は倉稲魂命又の御名は豊受姫命(伊勢の外宮の大神)ともいう」とする。「延喜式大殿祭祝詞註にも、倉稲魂命は豊宇気比売神と同神とする」とある。倉稲魂命は豊受姫命(伊勢の外宮の大神)の別名であった。


また、月読命は保食神を殺した。保食神と関係が深いのは月読命である。保食神を殺したから月読命は保食神になった。詭弁である。神社の祭神で保食神とあるのは月読命の別名である。月読命は女性であり天照大神は男性であった。


最初の天照大神の降臨(紀元前185年頃)から事代主と百八十神の国譲り(紀元前160年頃)まで事代主と百八十神の子供たちが成長するのを待っていた。葦原中津国(北栄町大島周辺)が譲られるまで瓊瓊杵尊は楯縫神社で待っていた。


 

福岡県に下照姫神社があり、穂波という地名があるのは、伯耆国にいた山上憶良が作ったものである。穂波とは波の穂を逆さに言ったものであり、波打ち際であったことを示している。鳥取県北栄町の穂波は今でも海抜4mくらいである。縄文海進の時代に福岡県の穂波は波打ち際であったとは思われない。

 

次週に続きます

 

出典

高天原=蒜山、天孫降臨地=伯耆国説  
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/

佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説
古事記・日本書紀の高天原は岡山県真庭市の蒜山である、とする。
田村誠一氏、vetty氏の天孫降臨地=伯耆国説
http://ysaino11.blog.fc2.com/blog-entry-129.html

 

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2021年2月 4日 (木)

高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説ー5 神武天皇社

2月4日の誕生花       ツバキ (椿)

花言葉:       誇り、完璧な魅力

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高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説-5

神武天皇社  御所市柏原246

古事記には天照大御神は、日本の国土を生んだ男性神「伊邪那岐(いざなぎ)」から産まれました。一般的に「太陽の女神」と言われ、稲を作りその収穫を祝う祭祀を行う役割を持ちます。

天照大御神は「天津神(あまつかみ)」と呼ばれ、「高天原(たかまがはら)」という天上の世界に住んでいました。一方で、天照の父「伊邪那岐」が「伊邪那美」と共に生んだ地上の国。これは「葦原中国(あしはらのなかつくに)」(日本列島 現在の中国地方 蒜山を中心とした地域)と呼ばれ、そこは国津神(くにつかみ)と呼ばれ「大国主」が治めていました。天照は、もともとは両親が生んだ葦原中国を、自分たち天津神が治めるべきだと思うようになります。そこで、高天原の神々を葦原中っ国「出雲」に派遣して、国津神の「大国主」から「国を譲ってもらおう」と考えました。

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国津神「大国主(おおくにぬし)」から天照大御神への国譲り

当時、葦原中国を治めていたのは大国主(おおくにぬし)と呼ばれる神でした。政治の中心地は出雲です。

天照は何度も神々を使者に出しますが、大国主は会おうとはしません。天照から使いに出された天照の息子・アメノホヒも、大国主を説得できず逆に出雲に引き入れられてしまいます。しかし天照が建御雷神(たけみかづち)という雷神を派遣すると、ようやく大国主も受け入れ、国譲りを決意しました。
大国主はその時、出雲に神殿を創ることを約束させ、これが今でも残る「出雲大社」の原型になっています。(また天照の息子アメノホヒの子は、出雲大社を守る出雲国造となり、現在の出雲宮司の家系につながっています・・高円宮典子さまが皇室から出雲宮司の千家国麿さんへ嫁がれましたが、遠い遠い天照の子孫が現代で結ばれた!ということです。)


こうして葦原中国を大国主から譲り受けた天照は、自分の孫「邇邇芸命(ににぎのみこと)」を地上に派遣します。この出来事が「天孫降臨(てんそんこうりん)」と呼ばれます。ニニギノミコトが降り立ったのは、出雲・因幡 伯耆・美作の国今の島根県・鳥取県・岡山県)に跨る蒜山高原です。またこの時に天照から渡された八咫鏡(やたのかがみ)八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・草那芸之大刀(くさなぎのたち)を三種の神器と言います。
ニニギノミコトはこの地で木花之開耶(このはなのさくや)姫と結婚します。この時、姉イワナガヒメを一緒に娶るように頼まれましたが、ニニギはそれを断ったので、ニニギノミコトの子孫は「必ず花のように散る=人間のように寿命が限られる」ようになったといいます。ニニギノミコトの子孫はしばらくこの地を治めたのち、本州を平定しに向かいます。

神武天皇を大和の国に導いたのが、高天原から派遣されたヤタガラス。綏靖天皇を基点に母方の皇祖神である。神武とはこの大和葛城のカモ王朝に婿入りした人物である。おそらく神武天皇の祖先がニニギまでしか遡れなかったのだろう。神武天皇が宮を構えたのは橿原神宮などではなく、この御所柏原の神武天皇社です。


天皇に姓があった
神武 神日本磐余彦天皇(カム やまといわれひこのすめらみこと)
長男 神八井耳命(カム やいみみのみこと)
次男 綏靖「神渟名川耳天皇(カム ぬなかわみみのすめらみこと)」
つまりカム=カモ王朝。


これは神武が征服者ではなく、カモ・カム王朝に婿入りした男だったという証拠。しかも神という字を当てはめられている。カモとは神であった。6代孝安までは鴨王朝であろう。 日本書紀は、3代安寧天皇の皇后である渟名底仲媛命(ぬなそこなかつひめ)の父親が、 「鴨王」であると思わず書いてしまっている。
事代主の子、鴨王だ。 普通、一豪族に「王」などとは書かない。 先代旧事本紀と照らし合わせると、この鴨王は天日方奇日方命の事だろう。 ヒメタタライスズのお兄さんだ。 この人物の事を、思わず王と書いてしまったのは、 日本書紀編纂者が、この時代が鴨王朝であり、 ヒメタタラが女王とされ、神武は入り婿である事を知ってたからなのだ。

 

大和の平定と初代天皇の即位


ニニギノミコトから三代ののち。(たったの三代ですが、179万2477年の後だと言われています)
ニニギの子孫の「神日本磐余彦尊(カム やまといわれひこのみこと)」は、兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)と共に大和地方を平定に向かいます。
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途中、兄の彦五瀬命(ひこいつせのみこと)は紀伊の国(和歌山)の戦いで命を落としますが、神日本磐余彦尊(カム やまといわれひこのみこと)は高天原の神々の助けを受けて大和の平定に成功します。

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そして紀元前660年2月11日、都とした柏原宮(奈良県御所市)で名前を始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)に変えて初代天皇に
即位しました。亡くなってからは元号で「神武天皇」と呼ばれます。(「神武」や「明治」「昭和」のような元号をつけて呼ぶ呼び方は、天皇が退位してからになります)神武天皇はニニギノミコトのひ孫。天照は神武天皇にとって、ひいひいひいおばあさんになります。大国主から国譲りを受けて長い年月ののち、ようやく現在の日本まで続く王朝が誕生しました。

神武天皇社
神武天皇の即位の場所は橿原神宮と思っていましたが、調べていくうちに多くの疑問点が見つかり調べたところ御所市柏原の地ではないかと思います。ここは本馬山の麓で、神武天皇の国見説話も残されている場所です。神武天皇の本当の即位地!しかも、南へ徒歩1分ほどの場所には神武天皇の前后・吾平津媛(あひらつひめ)を祀る嗛間神社(ほほまじんじゃ)もありました。
御祭神は神倭伊波礼毘古命(カム やまといわれびこのみこと)神武天皇の神名が刻まれていました。
柏原の里の北西方向に、標高143mの本馬山があります。山と言うよりは丘といった趣ですが、国見伝説が残る嗛間丘(ホホマの丘)ではないかとも言われます。神武天皇が掖上にあるホホマの丘に登って国見をしたと言われる場所です。おそらく嗛間(ほほま)は本馬(ほんま)に通じているのでしょう。

享保21年(1736年)の大和誌には「橿原宮。柏原村に在り」と記し、本居宣長も明和9年(1772年)の「菅笠日記」に、畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあることを里人から聞いたと記しています。一説にはこの神社が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治のはじめに証拠書類を全て焼いてしまったと言われています。

 御所市観光ガイドより

日本書紀によると、大和を平定した神武天皇は掖上の「ホホ間の丘」に登って国見をされ「妍哉、国を獲つること(なんと素晴らしい国を得たことか)。内木綿の真乍き国といえども(狭い国ではあるが)、なお蜻蛉(あきつ=とんぼ)の臀占(となめ=交尾)せる如くあるかな(トンボが交尾して連なっているように山々に囲まれたところだ)」と宣い、これによって日本の国号「秋津洲」の名が誕生したとされていて、国見山はこの丘の実在の地と言われています。

ホホ間の丘と言われる山はもう一つ「本馬山」があり、ホホ間と本馬が似ていることから有力な候補地ですが、残念ながら本馬山は現在登ることができません。

この二つの山はいずれも「掖上」という地域にあり、山から見下ろせる地域は「秋津」と言います。国見山頂(229メートル)には「ホホ間の丘」の石碑が建っています。山頂に立つ石碑には「嗛間丘(ほほま丘)」「神武天皇聖蹟傳説地」と刻まれています。


国見神社から標高229.38mの頂上まで距離500m程で、高低差100mの登山道となっています59_20201004085301

国見神社拝殿 
神武天皇の曽祖父ニニギノミコトを主祭神とする神社

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        神武天皇社の鳥居。

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        神武天皇社拝殿。

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        掖上の道の案内。

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御祭神・神倭伊波礼毘古命の名が刻まれていました。

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       神武天皇社の案内板。

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 拝殿前にはたくさんの石燈籠が並んでいます。

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       境内に祀られる地蔵尊。

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古代地名として伝わる掖上(わきがみ)ですが、この掖上にも深い意味が込められているようです。

掖上の「上」は「神」のことであり、”大神神社の脇” ではないかとする説です。この地には鴨都波神社が鎮座していますが、古くは鴨都味波神社」だったとされます。つまり、味波は神であり三輪だというのです。

     地蔵尊の横に建つ王城院。

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  王城院の脇から水平社博物館へと通じる道。
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2021年1月28日 (木)

高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説ー4 鴨都波神社

1月28日の誕生花  ブルーレースフラワー

花言葉:          無言の愛

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高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説


鴨都波神社(かもつばじんじゃ) 

奈良県 御所市宮前町513   TEL 0745-62-2176

この神社はJR和歌山線・御所駅の南南西約500m、高田署分庁舎前に24号線に面して鎮座しています。
奈良と大阪の県境に位置する「大和葛城山」(やまとかつらぎさん)の東側、御所市一帯には、大和国に由来する古い神跡が多数存在します。
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鴨都波神社の鎮座は飛鳥時代よりも古く崇神天皇の時代で、桜井市にある「大神神社」(おおみわじんじゃ)の別宮と称されています。御祭神は「積羽八重事代主命」(つわやえことしろぬしのみこと)で、大神神社に祀られている「大国主命」(おおくにぬしのみこと)の子供にあたる神様です。
鴨都波神社は下鴨社とも呼ばれ、ここより南の丘陵地帯にある高鴨神社(上鴨社)、その途中にある葛木御歳神社(中鴨社)と合わせて、全国の鴨社・加茂社の総本社でもある。
       社頭 鳥居は無い。
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    歴史を感じさせる社標がある。
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      木々に隠れている手水舎
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   巨石をくりぬいて作られている手水
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手水には亀のような形をした、石が置かれていました。
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手水舎の向かい側に祓戸神社がある. 祭神は祓戸大神。

 瀬織津姫命、速開津比売命、気吹戸主命、速佐須良比売命
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遥拝所  こちらの主祭神である事代主命の父神
 
大国主命(大物主大神)が鎮まる三輪山です。
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遥拝所の隣にご神木で樹齢350年のイチイガシがある。
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境内に入ると杜の中に、立派な社殿が鎮座しています。
出雲王国8代副王「事代主」の息子「奇日方」(クシヒカタ)は、葛城の自らの屋敷付近に、孤島の洞穴で枯死させられた父を祀る「鴨都波神社」を建てたと云います。弥生時代の出雲では「神」を「カモ」と発音したことから、葛城へ移住した東出雲王家「富家」は「神家」(かもけ)とも呼ばれ、後に「鴨」や「加茂」の字があてられました。

        左拝殿・右奥本殿
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         拝殿内陣
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        本殿中門と透かし塀
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千鳥破風・唐破風付き入母屋造りの豪華な本殿
 
主祭神二座の他に 建御名方命(事代主命の弟で、出雲の稲佐浜で建御雷命に相撲で敗れて諏訪に鎮まった神)大物主櫛瓺玉命(大国主命の和魂で三輪山に鎮まる神)が 配神として祀られています。
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   本殿右手に境内三社が並ぶ。左から
天神社・・・ 菅原道真公を祀る。学問の神。
猿田彦神社・猿田彦命を祀る・導きの神・交通安全の神
火産霊神社・竈三柱大神・金山彦命を祀る。
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神農社 社号標には「神農薬祖神」とあります。医薬の神として事代主が役職名の「少彦名大神」の名で祀られています。医薬の神・病気平癒の神・酒の神。
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本殿左手の森の中に入ると、宇迦之魂神を祀る稲荷神社がある。
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     須佐之男命を祀る八坂神社。
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   笹神社 市杵嶋比売命を祀る笹神社。
     水の神・女性の良縁の神。
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出典
外部リンク
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
鴨都波神社 - 公式ホームページ
鴨都波神社 - 御所市観光ガイド
鴨都波八重事代主命神社二座 - 國學院大學

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          2021年1月の新作

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2021年1月21日 (木)

高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説ー3 葛木御歳神社

1月21日の誕生花    ロウバイ(蝋梅)

花言葉:      慈愛、先導、先見

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高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説

  葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ) 

奈良県御所市東持田269番地 0745-66-1708
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御所市街から国道24号線(かつては下街道と呼ばれた大和から紀州へ抜ける最短の古道)を南下して、小殿北交差点を左折(東行)し突き当りを右折 すぐ左折し直進すると 左に一の鳥居が有る。
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   車は鳥居の右横から参道に入る。
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  二の鳥居手前右手に数台の駐車場がある。
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左手に『サロン&カフェ みとしの森』が有ります。
お店は 宮司の 東川優子様が 経営されています。

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葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ) は創建は不詳であるが、日本全国にある御歳神社・大歳神社の総本社とされる。葛城氏・鴨氏によって祀られた神社で、高鴨神社(高鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)に対して「中鴨社」とも呼ばれる。当社の背後に御年山(みとしやま)があり、これを神体山として田の神を祀ったものとみられる。最も古い記録は『新抄格勅符抄』の天平神護元年(765年)「御年神十三戸、大和三戸、讃岐十戸」とあるものである。仁寿2年(852年)には、当時大和国で最高位となる正二位の神階を贈られ、延喜式神名帳では名神大社に列している。平安時代以降、一帯は春日大社・興福寺の荘園となっており、当社は春日大社の影響下にあった。現在の本殿は、江戸時代に春日大社の本殿第一殿を移築したものである。日本三代実録によれば、貞観8年(866年)、朝廷が任命した神官を当社が拒否したという。それ以降、大正時代まで神職は置かれていなかった。

「サロン&カフェ みとしの森」から見る参道 
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二の鳥居手前左側に手水舎がある。 地下水をくみ上げ竹筒を通して給水している。
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   コロナ対策のため この日  水は入っていなかった。
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二の鳥居から石段の参道を見上げると拝殿が見える
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      階段を上り切ると 左に由緒書きが有りました。
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    左右に狛犬が置かれています
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     正面に拝殿が構えています。
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 右横から見ると 右に本殿・左に拝殿が有ります。
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  拝殿横には「御神木」がそびえています
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 祭神は、御歳神、大年神、高照姫命 3神です。

御歳神(みとしのかみ)古事記によると、須佐之男命の孫である。父は大年神で母は香用比売。

大年神 古事記によると、須佐之男命の子で宇迦之御魂神は同母の妹である

高照姫命 大国主命の娘で事代主神の同母の妹である。
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    本殿側面に壁画が残されています。
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拝殿右手の境内社  手前から、

事代主命神社  元々は、葛城賀茂氏の祀る田の神。記紀によって出雲の神とされ託宣の神となる。宮中における八神の一柱に列する大神である。 後世、恵比寿神と習合して商売繁盛の神となった。


天稚彦命神社   国津神の大国主命に対して天津神に国を譲るよう説得するために派遣された神。ところが大国主命の娘である下照姫命と結婚して大国主命の跡継ぎを狙った。そこからいろいろとあって、高御産巣日神によって殺されてしまう。


稚日女命神社  古事記によると、須佐之男命が河を剥いだ馬を織屋に投げ込んだ時、驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて 亡くなったとされる。


一言主命神社 事代主神と並んで賀茂氏が祀る神。一言の願いであれば何でも聞き届ける神として信仰されている。
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本殿左手の境内社群 手前から

天照皇大神社    伊勢の神宮に祀られる日本の総氏神であり、皇室の祖神である。


高皇産霊命神社  造化三神のうちの一柱。重要な案件において、天照大御神に代わって決定し実行する神。


神皇産霊命神社  造化三神のうちの一柱。一度は死んだ大国主命を蘇生させる為の神を派遣した神。
     
        
味耜高彦根神社  鴨族発祥の地に鎮座する高鴨神社の主祭神。迦毛大御神(かものおおみかみ)とも称される、まさに大神である。
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社務所
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  カナ山頂上を東 約20mに鎮座する磐座。
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出典
御年神(国史).
葛木御歳神社(平凡社)
葛木御歳神社(式内社)
外部リンク
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
葛木御歳神社 - 公式サイト
葛木御歳神社 - 御所市観光協会
葛木御歳神社 - 奈良県神社庁
葛木御歳神社 - 國學院大學21世紀

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2021年1月14日 (木)

高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説ー2 高鴨神社

1月14日の誕生花       シンビジューム

花言葉:           飾らない心、素朴

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高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説ー2


高鴨
神社
(たかかもじんじゃ)
奈良県御所市鴨神1110  

高鴨神社が鎮座する地は、古代の豪族・鴨氏発祥の地であり、神社にはその鴨氏の氏神である阿遅志貴高日子根命(あぢしきたかひこねのみこと)迦毛之大御神(かものおおみかみ)が主祭神として祀られています。
鴨氏はこの丘陵から奈良盆地に出て、葛城川の岸辺に移った一族が「鴨都波神社」を、また東持田に移った一族が「葛木御歳神社」を祀った。後に、高鴨神社を上鴨社、御歳神社を中鴨社、鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようになった。 高鴨神社は、大阪府との県境にある金剛山の山麓に鎮座する古社です。
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鴨一族とは

八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる。『新撰姓氏録』では神魂命の孫とする。

現在、東大阪市に鎮座する鴨高田神社の祭神となっている。

『出雲風土記』に意宇郡舎人郷 賀茂神戸とあり、また現在の島根県安来市には賀茂神社があって、祖神である言代主の活躍地である東部出雲に属することから、ここを本貫とする説もある。

大鴨積命(大賀茂津美命・大賀茂都美命)を始祖とし、三輪系氏族の一派に属する。大鴨積命は大物主神(三輪明神)の子または後裔の大田田根子の孫で、速須佐之男命の11世の孫である。大和国(葛城)葛上郡の高鴨神社・鴨都波神社・葛木御歳神社付近(現・奈良県御所市)を本貫とする。

大鴨積命は鴨の地に祖神の事代主神を祀った鴨都波神社を建てたことから、「鴨君」(かものきみ)の姓を賜与された。なお、現在鴨の地にある高鴨神社・鴨都波神社の祭神である阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神)や積羽八重事代主命は、鴨氏の祖神であるとされている。

上古には「鴨君」・「甘茂君」と表記し、姓は君であったが、壬申の乱の功臣である鴨蝦夷(賀茂蝦夷)を出し、天武天皇13年(684年)に「賀茂朝臣」(かものあそん)姓を賜与された。その後、奈良時代から平安時代初期にかけては朝廷の官人として仕え、奈良時代には「高賀茂朝臣」の姓を賜与された者もいた

平安時代の延喜式神名帳では特に霊験が著しいとされる名神大社のうちの一社に列し、何と紀元前5世紀~4世紀、縄文時代最晩期から弥生時代前期頃には最初の神殿が造営され祭祀が執り行われていたとされる、国内最古の神社のひとつです。
天文12(1543)年に再建された本殿(国指定重要文化財)は桃山時代の神社建築を代表する建築物で、三間社流造になっている。本殿内には快慶の銘が入った狛犬がある。」
       広い境内図
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   鳥居右手に 神社なのに鐘楼がありました。
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鳥居前左右に有る 狛犬 嘉永七年(1854年)
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一の鳥居 コロナ撲滅祈願の為「茅の輪」があった。
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鳥居を入ってすぐ左手にある祓戸神社。祭神は、
大直日神・神直日神・伊豆能売神・底津綿津見神
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鳥居をくぐると下り坂の参道が一直線に見えます。
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左に
手水舎が有ります。龍の口から聖水が注がれます。
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  背後には池にせり出した舞台が見えます。
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       右に社務所が有ります。
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     御朱印はここで頂けます。
      
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社務所の隣に「楠木正成公」の 銅像が有ります
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少し狭い参道が「二の鳥居」方向に伸びています。
参道の左手は豊かな水を湛える「宮池」です。
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  参道右手に
大杉(神木)がそびえています。
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正面に
二の鳥居があり石段の上に「拝殿」が見えます。
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     左 本殿      右 拝殿
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             拝殿内陣
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本殿は室町時代建立の檜皮葺三間社流造、国重要文化財指定。主祭神の阿治須岐高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)は、その別名を迦毛之大御神(かものおおみかみ)とも言います。「大御神(おおみかみ)」と付くだけで、その神格の高さが分かります。「大御神」と名の付く神様は、天照大御神迦毛之大御神だけだとも言われます。
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拝殿の左横、本殿前に面白い石灯籠が建っています。燈籠の下敷きになって堪える邪鬼・仏教寺院などではおなじみの邪鬼ですが、神社の境内で見ることはあまりありません。
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高鴨神社には数多くの境内社が、本殿を挟み東と西に分かれて鎮座しています。本殿 東には「東宮」を中心として、9社が鎮座しています。本殿 西にも
 沢山の境内社が有り 一番奥に「西宮」が鎮座しています。先に本殿に向かって右手「東宮」に進みました。
市杵嶋姫命神社 宗像三女神のひとり「市杵嶋姫命」が祀られています
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東宮(東神社)本殿東側の境内社の中心的存在で、寛文12年(1672)建立で、県指定重要文化財です。祭神は、(天児屋根命・天照大御神・住吉三前大神)
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佐味護国神社の左にズラっと並ぶ小さな祠
左から 佐味護国神社・大山咋神社・春日神社・大国石・雷神社・細井神社 ・西佐味神社
 
佐味護国神社 西南戦争以降太平洋戦争に至る戦において、国のために命を捧げたこの地域の戦没者を祀っている。
 
大山咋神社 大山咋神は山の神。日吉大社・松尾大社の主祭神だ。大山咋神の父で農耕の神である大歳大神も祀られていると伝わる。


春日神社  建御雷之男神を祀る神社。鹿島神宮の主祭神で藤原氏の氏神で軍神・武道の神。


大黒石  何かわからない。黒い丸い石が置かれているのみ。


雷神社  火雷神を祀る。雷神、水の神、雨乞い、稲作の守護神。上賀茂神社の祭神「賀茂別雷神」の父と噂される神。


細井神社  水波能賣命を祀る。水の神。特に農業用水や井戸の神としての神格を持つ。


右端 西佐味神社には高木大神・高龗大神・闇龗神・十二將軍大神を祀っている。
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本殿に向かって左手に、「宮池」沿いに進む石段がある。石段を下りて「宮池」に沿って小祠が点在し一番奥に「西宮」が鎮座しています。
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八幡神社 誉田別命を祀る。15代応神天皇である。
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一言主神社 事代主命を祀るとしている。一言主神と事代主神は同一という見解だ。一言の願いであれば何でも叶えてくれるという。
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猿田彦神社 猿田彦命を祀る。ご利益は、導きの神・道開きの神。
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聖神社 大物主命を祀る。三輪山に鎮まる神だ。その子孫が三輪氏であり賀茂氏であるという。
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稲荷大明神 祭神は宇迦之御魂神。食物の神・五穀豊穣の神にして転じて商売繁盛の神とされる。
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金毘羅神社 大己貴命を祀る。
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八坂神社 素盞鳴命を祀っている。
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牛瀧神社 豊岡姫命を祀る。豊岡姫命とは豊受大神の別名らしい。豊受大神と言えば、伊勢の神宮外宮の正宮に祀られる食物を司る神だ。
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西宮(西神社)主祭神は、多紀理毘売命(たぎりひめ)。配神に、天御勝姫命(あめのみかぢひめ)・塩冶彦命(やむやひこ)・瀧津彦命を祀る。
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境内一番奥から一の鳥居に戻るまで結構な距離に気づきました。第一鳥居境内側から
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コロナ感染防止対策のための「アクリルマスク」を着用したが暑くなかってよかった。
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神社前に「高天原」への案内があります
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出典
ウィキペディア
ウィキメディア・コモンズ
高鴨神社 - 公式サイト
高鴨神社 - 御所市観光ガイド
高鴨阿治須岐託彦根命神社四座 - 國學院大學


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2021年1月 3日 (日)

高天原・天孫降臨ー3 高千穂説

1月3日の誕生花               クロッカス

花言葉:                切望、歓喜、信頼

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天孫降臨(てんそんこうりん)とは、照大神の  邇邇藝命(ににぎのみこと)を地上(葦原の中つ国)に降臨させた物語です。

天照大神(あまてらすおおかみ)は、日本神話に主神として登場する神。

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小生が学童のころ習った教科書では、高天原・天孫降臨は「宮崎県高千穂」と習った。
中学校では 奈良県御所市葛城 だ とも習った記憶がある。余り興味がなかったのだろう よく覚えていない。


近年 古事記・日本書紀に書かれている 高千穂説は 編纂者「藤原 不比等ふじわら の ふひと」により歴史が、大きく改ざんされたものだと言われるようになった。



ここで高千穂説を検証してみよう。

天孫降臨の地・高千穂

天孫降臨とは何なのか?これは言葉の通り、天の神々が地上に降り立った事である。
父方の祖母がアマテラス、母方の祖父がタカミムスビという天界の貴士ニニギが葦原中国の統治を任された。ニニギは三種の神器と、多くの神々を従え、国津神のサルタヒコを道案内として筑紫の東方の高千穂の峰に降下したという。これが高千穂への天孫降臨である。

では、その高千穂の峰とは何処に在ったのか?これについては諸説あり、今もって特定されていない。

オオクニヌシの国譲り

神話の時代、アマテラスは葦原中国(日本列島)の統治を決意し、国王のオオクニヌシに対して国譲りを迫る。その三度目の使者である剣と雷の神タケミカヅチが出雲に降りると、オオクニヌシは国譲りの判断を二柱の子神にゆだねた。


先ずコトシロヌシが恭順して譲渡を承諾、次のタケミナカタタケミカヅチとの力比べに挑むも圧倒され、、科野国の海(諏訪湖)に逃げて降参した。こうして出雲の国津神との交渉は妥結した。



小生は高千穂説を検証するため大手旅行社を訪ねた。担当者は下記のコースを進めてくれた。



高千穂のパワースポット巡りのモデルコースプラン 完全にテーマパーク扱いである


スタート(高千穂バスセンター)⇒ 車5分 高千穂峡 ⇒ 車3分 高千穂神社 ⇒車5分 天真名井⇒車すぐ 荒立神社 ⇒車15分 天岩戸神社 ⇒徒歩10分 天安河原 ⇒車15分ゴール(高千穂バスセンター)

旅行社で頂いたパンフ通りに、ゆっくり時間をかけて回ったが約3時間のコースだった。


二カ所の高千穂

      霧島神宮と高千穂神社


高千穂は何処に在ったのか、それは今現在分かっていないが、多くの候補地が名を連ねる。 そのなかでも特に、鹿児島県霧島市の霧島神宮  「 ニニギ」を主祭神とするが、古代から何度も噴火を受けて炎上している。 「天照」の孫「ニニギ」を先頭に降臨する神々

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現在の社殿は、正徳5年(1715)に鹿児島藩(薩摩藩)の島津吉貴が造営したもので、極彩色の装飾が鮮やかなに映えて荘厳である。また、社格も高く、天安2年(858)に朝廷から従四位下の神位が贈られ、明7(1874)には官幣大社に列している。更に、この神社に関連したニニギの陵墓が鹿児島県川内市の新田神社にあり、昭和天皇などがご参拝されている。

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また 宮崎県高千穂町の
高千穂神社などが有名だ。

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    ニニギが突き立てた天逆鉾

宮崎県と鹿児島県の県境にそびえ立つ霧島連山の高千穂峰の頂には、国家の安定を願ってニニギが突き立てたという天の逆鉾が残されている。だが、もとの逆鉾は火山の噴火で焼けてしまい、現在のモノはレプリカであるという。

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         天岩戸神社

町内には、ニニギが降りたという二神山や、高天原の神話を伝承した天岩戸神社もある。
この神社の御神体は天の石屋戸で、高天原の神々が相談をした天の安河原や、ウズメが舞った場所まであるとされる。

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       槵觸(くしふる)神社

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このように「テーマパーク」化した高千穂説には多くの疑問点があります。


先ず古事記・日本書紀の編纂者「藤原不比等」は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解することもできる。

 

(ここからの記述は下記から引用しています)

https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201601050000/
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/
佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty 氏の高天原=蒜山説
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201601110000/

地球なんでも鑑定団
http://check.weblog.to/archives/8532973.html


 

『尊卑分脈』に引く藤氏大祖伝に、藤原不比等は山科の田辺史大隈の家で養育され、史(ふひと)と名づけられたと記されている。百済系史官とは、田辺史・書首・船史らのことをいうが、当時の最大権力者藤原不比等(史を不比等に改めた)が、百済系史官のバックにいたことは当然考えられる。不比等は大宝律令の撰定者でもあったが、『続日本紀』に、藤原不比等ら撰定者に録を賜うとあり、その中に田辺史百枝・田辺史首名の名がみえる。田辺史から選ばれているのは、田辺史に養育された不比等のバックアップによるものであろう。大宝律令の撰定に百済系史官を使っているのだから、『日本書紀』の編纂にも藤原不比等の息のかかった百済系史官を使ったものと思われる。百済系史官が『日本書紀』の編纂における中心的役割を果たしていた。山上憶良は百済人であり百済系史官であった。

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  白村江の戦で敗れた朝廷は都を大津に移し、百済の王族を宮崎県に逃がしている。当時の最大権力者である藤原不比等も百済系である。藤原不比等の息のかかった百済系史官が『日本書紀』の編さんにおける中心的役割を果たしていた。藤原不比等は自分たちに関係する百済の王族のいたところを天孫降臨の地にしたかったのである。それが天武天皇の命で編さんされた古事記を改ざんし、長い間消し去っていた動機である。古事記は712年に発表されたが長い間消し去られていた。 古事記を見て天孫降臨の地が伯耆国であると知った藤原不比等は716年に史誌編さんに携わっていた山上憶良を(天孫降臨の地の移転目的で)古事記の内容の確認と調査のため伯耆国の国司(国庁は倉吉市国府)に派遣する。山上憶良は好きな万葉の歌一首をつくることもせず、調査に専念している。伯耆国の調査報告を受けた藤原不比等は古事記の記述をもとに百済色に改ざんして日本書紀などの史誌を編さんした。その後日本書紀は720年に発表されその年に藤原不比等も亡くなった。翌721年に山上憶良は朝廷へ帰った。5年後の726年再び筑前の国司として九州に行く。 大伴旅人(九州全体の長官)と仲良くなり、日本書紀などの史誌に合うように 九州の地名・神社の創設・神楽の創設をしていった。



 九州の記紀伝説は伯耆国のコピーである。厳密にいえば現在までコピー元を消してきたのでコピーではない。八幡神社を各地に作って既存の神社の存在感を希薄にしたのもこの頃である。伯耆国にあった神社を目立たないようにしてきた。延喜式神名帳(927年)に記載されている神社で鳥取県は僅かに48社であるが因幡国42社で特に伯耆国は6社にしか過ぎない。この頃因幡には250社、伯耆は240社位あったそうである。因幡と伯耆の祭神を見ると、因幡は古事記による神名が多いのに反し、伯耆は日本書紀による神名が多い(鳥取県神社誌昭和9年刊)。日本書紀編さんに携わっていた者の影響が残っている。北栄町上種・茶屋条の西の丘の上にある大宮神社は鳥取県神社誌には載っていない。造りは新しいが上種・茶屋条の住民はずっと昔からこの場所にあって管理してきたそうである。住民の記憶までは消すことが出来ない。



 ニニギの尊は高千穂に立たれて「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、と古事記には書かれている。「韓国に向かい」で論争になったが、対馬海流にのると朝鮮半島からは流されるように鳥取県や丹後半島に着きますよと、とらえればよい。古くから朝鮮半島からの渡来人が多く漂着したところです。当時は海岸線が4m高く、リアス式海岸であり笠形の砂地を先頭にして、北栄町の瀬戸から亀谷・津原・穂波・原まで巻くような大島を中心とする大きな天然の良港があった。今でも葦が茂っており葦原中津国である。「朝日は直にさし、夕日は日照る」地である。北栄町の松神と下神の北側にはニニギの命とコノハナサクヤヒメが出会った三輪山があった。今は崩されて丘だけとなり三輪神社跡の石碑が残るのみであるが、三輪神社にはニニギの命(日向御子)が祭られていたのではないか。松神神社には神阿多都比売(コノハナサクヤヒメ)がまつられている。


  縄文海進で海面が百数十メートル上昇すれば蒜山のような高いところに逃げるのは本能である。その後国譲りで蒜山から
鏡ヶ成(猿田彦が鏡を使って連絡をした場所)を通ってすぐ下の関金に降りてきた。幼少期のニニギの命は関金(三ヶ所の神社に祭られている)神田神社 関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、 矢送神社 旧矢送村 関金町山口447番、日吉神社 関金町関金宿325番)で成長し上福田楯縫神社)に移り、その後上種(大宮神社)に御所を築いた。関金からほぼ真北に移動している。大宮(上種)以前(関金、上福田)はやまかげの場所ばかりで大宮(上種)を「日当たりの良い地である」と言ったのはもっともである。 


もと出雲国であり天孫に譲られた国、天孫降臨の地は伯耆国である。ニニギのお供の者も北栄町の大宮を中心に自然な距離に祭られている(天児屋根命は穂波神社に祭られていた)。
天太玉命は方見神社(琴浦町上伊勢100番地)に 石凝姥命は倉坂神社(琴浦町倉坂1229番)に、天手力雄命は神郷神社(琴浦町大杉887番)に、天鈿女命は上里神社にまつられている。コノハナサクヤヒメもニニギの尊のおられた大宮神社と同じ丘陵の少し下ったところにある亀谷神社祭られています。行き来するのに自然な距離です。また産屋があったと思われる高江神社が隣の丘にあります(コノハナサクヤヒメを祭る子安神社)。


大宮神社(ニニギ命の御所があっめた所)に直に射す朝日。

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藤原氏が支配する神社庁に抹殺された大宮神社。祭神 大国主 別雷命(阿遅鋤高日子根神)天孫瓊々杵命 素戔嗚命 猿田彦命 菅原道真

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木花之佐久夜比売命を祀る亀谷神社 祭神 木花之佐久夜比売命 品陀和気命 大国主命 事代主命 
が住み、同じ丘陵のもう少し山側(下種の大宮神社)には天孫瓊々杵命が御所を建てた。天孫はこの地域(葦原中津国)を目標に降りてきて、この地域(葦原中津国)を平定した。穂波には一番の家来の天児屋根命がいた。由緒 当社は往古より四所に鎮まり、各社とも創立年代詳ならざれども木花之佐久夜比売命は氏宮大明神と崇敬し現今の社地に鎮座す(鳥取県神社誌より)。

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天児屋根命を祀る合併前の穂波神社と合併後の宮崎神社

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大正5年5月14日大誠村大字穂波字塚林西鎮座村社、穂波神社、祭神天児屋根命を合併す(鳥取県神社誌より)。穂波神社を合併した宮崎神社

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 他にも天孫降臨が高千穂でない決定的な理由があります。



 天孫族には産屋の習慣がありました。川ひとつ挟んだ隣の丘に産屋をこしらえて、そこでお産をし、一ヶ月はそこですごす。コノハナサクヤヒメは身の潔白を証明するために産屋に火を放ってお産をしたそうです。また、玉依姫は産屋を作るのが間に合わなかったため、その子の名前はウガヤフキアエズという名前になりました。このように、天孫降臨の地は産屋の仕来たりのあるところでなくてはならないのですが、九州沿岸にはこの仕来たりはないそうです。日本海沿岸にはつい最近までこの仕来たりが残っていたそうです。



  やすみししわご大君の食国(おすくに)は倭(伯耆国を含む出雲)も此処(九州)も同じとぞ思ふ -大伴 旅人父母を 見れば貴し 
妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より 成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君います この照らす 日月(ひつき)の下は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み 蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極(きは)み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか 山上 憶良父母を見れば尊い。妻子を見れば可愛くいとおしい。世の中の道理はこうしたもの、黐(モチ)にかかった鳥のように家族への愛情は断ち切り難い。

行末も分からぬ我等なのだから。穴のあいた靴を脱ぎ捨てるように父母や妻子を捨てて行くという人は、非情の石や木から生まれた人だろうか。あなたの名前(大伴旅人)をおっしゃい。天へ行ったなら、あなたの思いのままにするのもよかろうが、この地上ならば、大君がいらっしゃる。この太陽と月が照らす下は、雲の垂れる果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、大君のお治めになるすぐれた国土なのだ。



 天照大御神を祀る神社は鳥取県に110社あるが、その中で伯耆国は87社(79%)、因幡国は23社(21%)である。総神社数は因幡国の
ほうが多いが天照大御神を祀る神社は鳥取県中西部が圧倒的に多い。



高天原・天孫降臨  因幡・伯耆・蒜山・出雲説は 後日実地検証しましたのでご案内いたします

出典 

https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201601050000/
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/
佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201601110000/

地球なんでも鑑定団
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          2021年1月の新作

 大きな和風のおリボンを作りました♪

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 おリボンは左右アシメトリーに生地を切り替え

 ✨リボンの端にはラインストーンが2つ ✨


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 【和リボン・市松&麻葉】 ¥1650(税込)
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2020年12月31日 (木)

和歌山貴志川線ー5 大国主神社

12月31日の誕生花   センリョウ (千両)

花言葉:  可憐、富貴、恵まれた才能
1231 

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大国主神社 紀の川市貴志川町国主1番地 


大国主命は 『古事記』・『日本書紀』の異伝や『新撰姓氏録』によると、須佐之男命(すさのおのみこと)の六世の孫、また『日本書紀』の別の一書には七世の孫などとされている。父は天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)、母は刺国若比売(さしくにわかひめ)。また『日本書紀』正伝によると素戔鳴尊(すさのおのみこと)の息子。
          系  図
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須佐之男命の娘である須勢理毘売命(すせ りびめのみこと)との婚姻の後にスクナビコナと協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、大物主神(おおものぬしかみ 大国主)を祀ることによって葦原中国(あしはらのなかつくに)の国作りを完成させる。だが、高天原(たかあまのはら)からの天照大御神(あまてらすおおみかみ)の使者に国譲りを要請され、対話と武力を交えた交渉の末に幽冥界の主、幽事の主宰者となった。国譲りの際にかつて須佐之男命から賜って建立した「富足る天の御巣の如き」大きな宮殿(出雲大社)を修復してほしいと条件を出したことに天津神(あまつかみ)が約束したことにより、このときの名を杵築大神(きづきおおかみ)ともいう。 大国主神を扱った話として、因幡の白兎の話、根の国訪問の話、沼河比売への妻問いの話が『古事記』に、国作り、国譲り等の神話が『古事記』と『日本書紀』に記載されている(但し、『日本書紀』では「大国主神」という神名ではない)。『出雲国風土記』においても多くの説話に登場し、例えば意宇郡母里郷(現在の島根県安来市)の条には「越八口」を大穴持命が平定し、その帰りに国譲りの宣言をしたという説話がある。 また山陰、四国、近畿、三遠信、北陸、関東など広範囲における地方伝承にも度々登場する。

 出雲大社(いずもおおやしろ)に鎮座する大国主命像
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   大国主命は多くの別名を持っています。

○大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)国を作った神としての尊称で、現在最もよく見られる呼称。


○大穴牟遅神(おおむなちのかみ)因幡にて白兎を助けたときの名前。


○大物主神(おおものぬしのかみ)大国主の和魂。

○八千矛神(やちほこのかみ)武神の性格を表す神名。

○所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)「出雲国風土記」での大国主の呼称。


○顕国玉神(うつしくにたまのかみ)スサノオから贈られた名前。顕国とはこの世を表す。


○幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)幽界、冥界の神


○葦原醜男(アシハラシコオ)色男の神
大国主は色々な女神との間に多くの子供をもうけており、記紀・『先代旧事本紀』・『出雲国風土記』に記載されている他、各地の神社社伝にも名がある。子供の数は『古事記』には180人、『日本書紀』には181人と書かれている。
 
      大国主神社

(主祭神)天照皇大神 大國主命 少名毘古那命 (合祀神)権大神  境内社 市杵島比売大神
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貴志川左岸にある陽向山に鎮座、通称「おくにっさん」と呼ばれ、古くは14箇村の産土大神、『紀伊続風土記』によれば八十神(大国主の兄弟達)等の危難から逃れ、五十猛命のもとへ赴こうとした。大国主命が当地を訪れたことを由緒として祀ったことに始まるという。『旧舊記』によると嵯峨天皇が神のお告げによって、弘仁9年(818年)神社を造営した後、行幸されて境内に白槇を植えたと伝えられている。また、淳和天皇の天長3年(826年)の夏、干魃で諸国の人々が困苦に悩めていることが朝廷にも届き、天皇は当社に勅使を遣わして御勅祭を行ったところ、霊験あらたかにして忽ち、豪雨となって人々を救って以来、一層崇敬も深くなり、社領300石を賜るに至った。

       和歌山貴志川線 路線図
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貴志川線最終駅 貴志駅 檜皮葺の屋根に、ステンドグラスをはめ込んだ「目」や「口」の窓。まるで「たま駅長」の顔のような猫駅舎です。
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      にたま駅長 (二代目たま駅長)
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       大国主神社 所在地地図
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貴志駅を出て右に行けば大きな道路に出ます。左には貴志川に架かる大橋が有り交差点には大国主を表す「国主」の地名表記が有ります。その道路を渡り直進します。
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道路を渡り終えると 左(貴志川寄り)参道に石柱が有ります
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登り坂を少し行けば、皇紀2600年記念に建立された一の鳥居が有ります。
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   参道左に漢文で書かれた石碑が並んでいます。
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拝殿入口に社号標が立っています。
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             境  内
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   境内に建つ「二の鳥居」 奥に弊拝殿
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          鳥居扁額
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              社務所
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          御朱印
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高床式舞台造りの神楽殿。能、句会、奉納相撲の観覧席と色々な使われ方をしてきた歴史がある
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          手水舎
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拝殿。大国主命(おおくにしのみこと)が祀られています。
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      檜皮葺き三間流造の本殿
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明治元年8月という激動の時代に奉納された浪花狛犬。紅白の布を巻いている意味が分かりませんでした。
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市杵島比咩神社(いちきしまひめ)は、日本神話に登場する女神で、宗像三女神の一柱。水の神である。
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大国主命が殺害された鳥取県南部町の「赤猪岩神社」は令和2年10月22日ブログで紹介しました。


出典
大国主命(おおくにぬしのみこと)の意味
次田潤『新版祝詞新講』戎光祥出版、
『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』
『古代豪族系図集覧』。
ウィキメディア・ウィキペディア 
 
本年は多難な年でしたが、来年こそ良い

年であります様、心から祈念いたします
 
   明年1月1日から 23回に

  分けて私説を
含めて 高天原・

  天孫降臨をご案内いたします。

     更新予定

1月01日  高天原・天孫降臨-1 高天原

1月02日  高天原・天孫降臨ー2 天孫降臨

1月03日 高天原・天孫降臨ー3 高千穂説

1月07日  高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説-1 高天彦神社

1月14日 高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説-2 高鴨神社

1月21日 高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説-3 葛木御歳神社

1月28日 高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説-4 鴨都波神社

2月04日  高天原・天孫降臨ー4 大和葛城説-5 神武天皇社




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    この度アトリエの移転が無事完了致しました 🏠

休業中ご不便をお掛けし申し訳御座いませんでした。

        本日よりネットショップの販売を

             再開させていただきます 😊

    今後ともよろしくお願い致します 💛

              ☆ 12月の新作 ★

      トナカイやツリーが描かれた

     北欧風クリスマス模様の生地で

        大きなリボン作り

      キュッと結びあげました ♪
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 リボンの下にはキラキラのラインストーン ✨
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【結びリボン・レインディア】 ¥1650(税込)
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2020年12月24日 (木)

和歌山貴志川線ー4 足守神社

12月24日の誕生花      カトレア

花言葉:あなたは美しい、成熟した魅力、優雅な女性
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足守神社 (あしがみじんじゃ) 観音寺(足守神社)
 
和歌山市木枕343 貴志川線 山東駅下車北へ500m

       和歌山貴志川線 路線図
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          たま電車
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駅を出てしばらく歩くと
道路標識が見える
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標識に従い 集落の狭い
参道を約20分歩くと正面に足守観音寺 の本堂が見えます。
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足守神社は、和歌山市木枕(こまくら)にある「足守観音寺」の境内に鎮座しています。境内には神道の神と仏教の菩薩が祀られており、神仏習合時代を強く残しています。約900年前 この地には灌漑用水がなく、農民たちは農業用水に苦しんでいました。これを見た覚鑁上人は、人々を救うため、この地に滞在し、日夜 地勢の調査をして貴志と山東の境に渓谷を発見します。農民を総動員して 大池(現在の「大池遊園(おいけゆうえん)」)の工事にかかりますが、大変な難工事となり、多くの作業員たちが足を痛め工事は難行します。そこで京都愛宕山足千現大名神を勧請し、石室に祀り、痛めた足を祈念したところ、ことごとく治癒したと伝えられています。その後、根来にて大法城を定めた覚鑁上人は、その本地を観音菩薩とし、社地に観音寺が建立されました。



      覚鑁上人
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      足守観音寺 神社 山門
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正面が足守観音寺、右に足守神社が鎮座しています。
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       足守観音寺本堂
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本堂に置かれたお釈迦様の弟子の「賓頭盧」(ぴんずる)さんです。自分の患っているところと、賓頭盧さんのお身体と同じ場所をさすると病が治るそうです     
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ぴんずるさんの後ろに 祭壇があり御本尊の観音様が祀られています。
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本堂の左前には、地蔵様が祀られています。 
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境内の右斜面に足守神社が鎮座しています。正面に割拝殿が在ります。
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階段を上ると、割拝殿の中に たくさんの草鞋や靴をひっつけた絵馬が掲げられている
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   梁には鉄製の草履が飾られていました。
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足守大明神様を祀る本殿にも沢山の草履が掛けられています。
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本殿左右に1m近くある特大草履も奉納されていました。
草鞋には願い事が書かれた木札が付けられています。
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  「覚鑁堂」覚鑁上人を祀る御堂がありました。
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稲荷祠 足守神社の右横に稲荷神を祀る小祠があった。 
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足守神社の左側にある「春日社」。春日大神を祀る。(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)
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      右:金刀比羅権現 左:祇園社

金比羅権現
現在の金刀比羅宮は大物主大神が主祭神であるが、こちらの神社が神仏習合当時のままの姿であると仮定するならば、象頭山金毘羅大権現を祀っていると思われる。すなわちクンビーラ。鰐を神格化したインドの神で、海上交通の守護神である。


祇園社
祇園社と言えば京都の八坂神社。現在の主祭神は素戔嗚尊であるが、こちらも神仏習合当時のままであると仮定すると、祇園精舎の守護神「牛頭天王」となる。厄病除け、悪霊除けの霊力を持つ。
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               御朱印
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   次週は大国主神社を紹介いたします。



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    この度アトリエの移転が無事完了致しました 🏠

休業中ご不便をお掛けし申し訳御座いませんでした。

        本日よりネットショップの販売を

             再開させていただきます 😊

    今後ともよろしくお願い致します 💛

              ☆ 12月の新作 ★

      トナカイやツリーが描かれた

     北欧風クリスマス模様の生地で

        大きなリボン作り

      キュッと結びあげました ♪
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 リボンの下にはキラキラのラインストーン ✨
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結びリボン・レインディア】 ¥1650(税込)
🔹BASE店🔹
https://nekos.theshop.jp/items/36522468
🔹minne店🔹
【レッド】https://minne.com/items/24951142
【グリーン】https://minne.com/items/25706225
🔹creema店🔹
【レッド】https://www.creema.jp/item/10774715/detail
【グリーン】https://www.creema.jp/item/10774726/detail 


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