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四国・九州

2021年1月 3日 (日)

高天原・天孫降臨ー3 高千穂説

1月3日の誕生花               クロッカス

花言葉:                切望、歓喜、信頼

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天孫降臨(てんそんこうりん)とは、照大神の  邇邇藝命(ににぎのみこと)を地上(葦原の中つ国)に降臨させた物語です。

天照大神(あまてらすおおかみ)は、日本神話に主神として登場する神。

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小生が学童のころ習った教科書では、高天原・天孫降臨は「宮崎県高千穂」と習った。
中学校では 奈良県御所市葛城 だ とも習った記憶がある。余り興味がなかったのだろう よく覚えていない。


近年 古事記・日本書紀に書かれている 高千穂説は 編纂者「藤原 不比等ふじわら の ふひと」により歴史が、大きく改ざんされたものだと言われるようになった。



ここで高千穂説を検証してみよう。

天孫降臨の地・高千穂

天孫降臨とは何なのか?これは言葉の通り、天の神々が地上に降り立った事である。
父方の祖母がアマテラス、母方の祖父がタカミムスビという天界の貴士ニニギが葦原中国の統治を任された。ニニギは三種の神器と、多くの神々を従え、国津神のサルタヒコを道案内として筑紫の東方の高千穂の峰に降下したという。これが高千穂への天孫降臨である。

では、その高千穂の峰とは何処に在ったのか?これについては諸説あり、今もって特定されていない。

オオクニヌシの国譲り

神話の時代、アマテラスは葦原中国(日本列島)の統治を決意し、国王のオオクニヌシに対して国譲りを迫る。その三度目の使者である剣と雷の神タケミカヅチが出雲に降りると、オオクニヌシは国譲りの判断を二柱の子神にゆだねた。


先ずコトシロヌシが恭順して譲渡を承諾、次のタケミナカタタケミカヅチとの力比べに挑むも圧倒され、、科野国の海(諏訪湖)に逃げて降参した。こうして出雲の国津神との交渉は妥結した。



小生は高千穂説を検証するため大手旅行社を訪ねた。担当者は下記のコースを進めてくれた。



高千穂のパワースポット巡りのモデルコースプラン 完全にテーマパーク扱いである


スタート(高千穂バスセンター)⇒ 車5分 高千穂峡 ⇒ 車3分 高千穂神社 ⇒車5分 天真名井⇒車すぐ 荒立神社 ⇒車15分 天岩戸神社 ⇒徒歩10分 天安河原 ⇒車15分ゴール(高千穂バスセンター)

旅行社で頂いたパンフ通りに、ゆっくり時間をかけて回ったが約3時間のコースだった。


二カ所の高千穂

      霧島神宮と高千穂神社


高千穂は何処に在ったのか、それは今現在分かっていないが、多くの候補地が名を連ねる。 そのなかでも特に、鹿児島県霧島市の霧島神宮  「 ニニギ」を主祭神とするが、古代から何度も噴火を受けて炎上している。 「天照」の孫「ニニギ」を先頭に降臨する神々

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現在の社殿は、正徳5年(1715)に鹿児島藩(薩摩藩)の島津吉貴が造営したもので、極彩色の装飾が鮮やかなに映えて荘厳である。また、社格も高く、天安2年(858)に朝廷から従四位下の神位が贈られ、明7(1874)には官幣大社に列している。更に、この神社に関連したニニギの陵墓が鹿児島県川内市の新田神社にあり、昭和天皇などがご参拝されている。

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また 宮崎県高千穂町の
高千穂神社などが有名だ。

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    ニニギが突き立てた天逆鉾

宮崎県と鹿児島県の県境にそびえ立つ霧島連山の高千穂峰の頂には、国家の安定を願ってニニギが突き立てたという天の逆鉾が残されている。だが、もとの逆鉾は火山の噴火で焼けてしまい、現在のモノはレプリカであるという。

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         天岩戸神社

町内には、ニニギが降りたという二神山や、高天原の神話を伝承した天岩戸神社もある。
この神社の御神体は天の石屋戸で、高天原の神々が相談をした天の安河原や、ウズメが舞った場所まであるとされる。

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       槵觸(くしふる)神社

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このように「テーマパーク」化した高千穂説には多くの疑問点があります。


先ず古事記・日本書紀の編纂者「藤原不比等」は、天智天皇から藤原氏の姓を賜った藤原鎌足の子である。文武天皇2年(698年)には、不比等の子孫のみが藤原姓を名乗り、太政官の官職に就くことができるとされた。不比等の従兄弟たちは、鎌足の元の姓である中臣朝臣姓とされ、神祇官として祭祀のみを担当することと明確に分けられた。このため、不比等が藤原氏の実質的な家祖と解することもできる。

 

(ここからの記述は下記から引用しています)

https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201601050000/
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/
佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty 氏の高天原=蒜山説
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『尊卑分脈』に引く藤氏大祖伝に、藤原不比等は山科の田辺史大隈の家で養育され、史(ふひと)と名づけられたと記されている。百済系史官とは、田辺史・書首・船史らのことをいうが、当時の最大権力者藤原不比等(史を不比等に改めた)が、百済系史官のバックにいたことは当然考えられる。不比等は大宝律令の撰定者でもあったが、『続日本紀』に、藤原不比等ら撰定者に録を賜うとあり、その中に田辺史百枝・田辺史首名の名がみえる。田辺史から選ばれているのは、田辺史に養育された不比等のバックアップによるものであろう。大宝律令の撰定に百済系史官を使っているのだから、『日本書紀』の編纂にも藤原不比等の息のかかった百済系史官を使ったものと思われる。百済系史官が『日本書紀』の編纂における中心的役割を果たしていた。山上憶良は百済人であり百済系史官であった。

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  白村江の戦で敗れた朝廷は都を大津に移し、百済の王族を宮崎県に逃がしている。当時の最大権力者である藤原不比等も百済系である。藤原不比等の息のかかった百済系史官が『日本書紀』の編さんにおける中心的役割を果たしていた。藤原不比等は自分たちに関係する百済の王族のいたところを天孫降臨の地にしたかったのである。それが天武天皇の命で編さんされた古事記を改ざんし、長い間消し去っていた動機である。古事記は712年に発表されたが長い間消し去られていた。 古事記を見て天孫降臨の地が伯耆国であると知った藤原不比等は716年に史誌編さんに携わっていた山上憶良を(天孫降臨の地の移転目的で)古事記の内容の確認と調査のため伯耆国の国司(国庁は倉吉市国府)に派遣する。山上憶良は好きな万葉の歌一首をつくることもせず、調査に専念している。伯耆国の調査報告を受けた藤原不比等は古事記の記述をもとに百済色に改ざんして日本書紀などの史誌を編さんした。その後日本書紀は720年に発表されその年に藤原不比等も亡くなった。翌721年に山上憶良は朝廷へ帰った。5年後の726年再び筑前の国司として九州に行く。 大伴旅人(九州全体の長官)と仲良くなり、日本書紀などの史誌に合うように 九州の地名・神社の創設・神楽の創設をしていった。



 九州の記紀伝説は伯耆国のコピーである。厳密にいえば現在までコピー元を消してきたのでコピーではない。八幡神社を各地に作って既存の神社の存在感を希薄にしたのもこの頃である。伯耆国にあった神社を目立たないようにしてきた。延喜式神名帳(927年)に記載されている神社で鳥取県は僅かに48社であるが因幡国42社で特に伯耆国は6社にしか過ぎない。この頃因幡には250社、伯耆は240社位あったそうである。因幡と伯耆の祭神を見ると、因幡は古事記による神名が多いのに反し、伯耆は日本書紀による神名が多い(鳥取県神社誌昭和9年刊)。日本書紀編さんに携わっていた者の影響が残っている。北栄町上種・茶屋条の西の丘の上にある大宮神社は鳥取県神社誌には載っていない。造りは新しいが上種・茶屋条の住民はずっと昔からこの場所にあって管理してきたそうである。住民の記憶までは消すことが出来ない。



 ニニギの尊は高千穂に立たれて「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞來通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」と詔りたまひて、と古事記には書かれている。「韓国に向かい」で論争になったが、対馬海流にのると朝鮮半島からは流されるように鳥取県や丹後半島に着きますよと、とらえればよい。古くから朝鮮半島からの渡来人が多く漂着したところです。当時は海岸線が4m高く、リアス式海岸であり笠形の砂地を先頭にして、北栄町の瀬戸から亀谷・津原・穂波・原まで巻くような大島を中心とする大きな天然の良港があった。今でも葦が茂っており葦原中津国である。「朝日は直にさし、夕日は日照る」地である。北栄町の松神と下神の北側にはニニギの命とコノハナサクヤヒメが出会った三輪山があった。今は崩されて丘だけとなり三輪神社跡の石碑が残るのみであるが、三輪神社にはニニギの命(日向御子)が祭られていたのではないか。松神神社には神阿多都比売(コノハナサクヤヒメ)がまつられている。


  縄文海進で海面が百数十メートル上昇すれば蒜山のような高いところに逃げるのは本能である。その後国譲りで蒜山から
鏡ヶ成(猿田彦が鏡を使って連絡をした場所)を通ってすぐ下の関金に降りてきた。幼少期のニニギの命は関金(三ヶ所の神社に祭られている)神田神社 関金町泰久寺632番 日子番能瓊々杵命、 矢送神社 旧矢送村 関金町山口447番、日吉神社 関金町関金宿325番)で成長し上福田楯縫神社)に移り、その後上種(大宮神社)に御所を築いた。関金からほぼ真北に移動している。大宮(上種)以前(関金、上福田)はやまかげの場所ばかりで大宮(上種)を「日当たりの良い地である」と言ったのはもっともである。 


もと出雲国であり天孫に譲られた国、天孫降臨の地は伯耆国である。ニニギのお供の者も北栄町の大宮を中心に自然な距離に祭られている(天児屋根命は穂波神社に祭られていた)。
天太玉命は方見神社(琴浦町上伊勢100番地)に 石凝姥命は倉坂神社(琴浦町倉坂1229番)に、天手力雄命は神郷神社(琴浦町大杉887番)に、天鈿女命は上里神社にまつられている。コノハナサクヤヒメもニニギの尊のおられた大宮神社と同じ丘陵の少し下ったところにある亀谷神社祭られています。行き来するのに自然な距離です。また産屋があったと思われる高江神社が隣の丘にあります(コノハナサクヤヒメを祭る子安神社)。


大宮神社(ニニギ命の御所があっめた所)に直に射す朝日。

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藤原氏が支配する神社庁に抹殺された大宮神社。祭神 大国主 別雷命(阿遅鋤高日子根神)天孫瓊々杵命 素戔嗚命 猿田彦命 菅原道真

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木花之佐久夜比売命を祀る亀谷神社 祭神 木花之佐久夜比売命 品陀和気命 大国主命 事代主命 
が住み、同じ丘陵のもう少し山側(下種の大宮神社)には天孫瓊々杵命が御所を建てた。天孫はこの地域(葦原中津国)を目標に降りてきて、この地域(葦原中津国)を平定した。穂波には一番の家来の天児屋根命がいた。由緒 当社は往古より四所に鎮まり、各社とも創立年代詳ならざれども木花之佐久夜比売命は氏宮大明神と崇敬し現今の社地に鎮座す(鳥取県神社誌より)。

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天児屋根命を祀る合併前の穂波神社と合併後の宮崎神社

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大正5年5月14日大誠村大字穂波字塚林西鎮座村社、穂波神社、祭神天児屋根命を合併す(鳥取県神社誌より)。穂波神社を合併した宮崎神社

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 他にも天孫降臨が高千穂でない決定的な理由があります。



 天孫族には産屋の習慣がありました。川ひとつ挟んだ隣の丘に産屋をこしらえて、そこでお産をし、一ヶ月はそこですごす。コノハナサクヤヒメは身の潔白を証明するために産屋に火を放ってお産をしたそうです。また、玉依姫は産屋を作るのが間に合わなかったため、その子の名前はウガヤフキアエズという名前になりました。このように、天孫降臨の地は産屋の仕来たりのあるところでなくてはならないのですが、九州沿岸にはこの仕来たりはないそうです。日本海沿岸にはつい最近までこの仕来たりが残っていたそうです。



  やすみししわご大君の食国(おすくに)は倭(伯耆国を含む出雲)も此処(九州)も同じとぞ思ふ -大伴 旅人父母を 見れば貴し 
妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世の中は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ ゆくへ知らねば 穿沓(うけぐつ)を 脱き棄(つ)るごとく 踏み脱(ぬ)きて 行(ゆ)くちふ人は 石木(いはき)より 成りてし人か 汝(な)が名告(の)らさね 天(あめ)へ行かば 汝(な)がまにまに 地(つち)ならば 大君います この照らす 日月(ひつき)の下は 天雲(あまくも)の 向伏(むかぶ)す極(きは)み 蟾蜍(たにぐく)の さ渡る極(きは)み 聞こし食(を)す 国のまほらぞ かにかくに 欲(ほ)しきまにまに しかにはあらじか 山上 憶良父母を見れば尊い。妻子を見れば可愛くいとおしい。世の中の道理はこうしたもの、黐(モチ)にかかった鳥のように家族への愛情は断ち切り難い。

行末も分からぬ我等なのだから。穴のあいた靴を脱ぎ捨てるように父母や妻子を捨てて行くという人は、非情の石や木から生まれた人だろうか。あなたの名前(大伴旅人)をおっしゃい。天へ行ったなら、あなたの思いのままにするのもよかろうが、この地上ならば、大君がいらっしゃる。この太陽と月が照らす下は、雲の垂れる果てまで、ヒキガエルが這い回る地の果てまで、大君のお治めになるすぐれた国土なのだ。



 天照大御神を祀る神社は鳥取県に110社あるが、その中で伯耆国は87社(79%)、因幡国は23社(21%)である。総神社数は因幡国の
ほうが多いが天照大御神を祀る神社は鳥取県中西部が圧倒的に多い。



高天原・天孫降臨  因幡・伯耆・蒜山・出雲説は 後日実地検証しましたのでご案内いたします

出典 

https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201601050000/
https://plaza.rakuten.co.jp/kodaisi/diary/201507060001/
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2021年1月 2日 (土)

高天原・天孫降臨ー2 天孫降臨

1月2日の誕生花    スイセン (水仙)

花言葉:    神秘、自己愛、自惚れ
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    天孫降臨  とは・・・・

天照大神(あまてらすおおかみ)、または天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、日本神話に主神として登場する神。女神と解釈され、高天原を統べる主宰神で、皇祖神とされる。『記紀(古事記・日本書紀)』において、天照大神は太陽神の性格と巫女の性格を併せ持つ存在として描かれている。

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高天原・天孫降臨の神話は 
いつ頃 誰が、作られたか不明ですが 1300有余年

前「古事記」「日本書紀」に記されている所から語り継がれています。

 


天孫降臨(てんそんこうりん)とは、照大神の  邇邇藝命(ににぎのみこと)を地上(葦原の中つ国)に降臨させた物語です。

天照の孫 邇邇藝命(ににぎのみこと)

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天照大御神さまは、孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に三種の神器(さんしゅのしんき)である八咫の鏡(やたのかがみ)・八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)を授け、葦原中つ国(あしはらのなかつくに)を高天原(たかまがはら)のようにすばらしい国にするため、降臨するように命じました。

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さっそく瓊々杵命(ににぎのみこと)が高天原に住む天神(あまつかみ)を伴って天降ろうとされると、

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あやしい光を放つ神さまがいました。天照大御神さまは不思議に思われ、天宇受売命(あめのうずめのみこと)

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という女の神さまを遣わして
どうしてそこにいるのかを問わせました。その神さまの名は猿田彦神(さるたひこのかみ)といい、瓊々杵命(ににぎのみこと)が高天原から天降られることを聞き、お迎えにあがったのだと答えました。

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そこで瓊々杵命(ににぎのみこと)は猿田彦神(さるたひこのかみ)を先導に、いくえにも重なった雲を押し分け押し分け、高千穂の国(宮崎)の地に降臨されました。

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そしてそこに立派な宮殿をお建てになられました。
ある時 瓊々杵命(ににぎのみこと)は、それは美しい乙女に出会いました。大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘、

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木花咲耶比売
(このはなさくやひめ)

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でした。
ところが、木花咲耶比売(このはなさくやひめ)は一夜にしてみごもられました。命は比売が他の神の児をみごもったと疑いました。そこで比売は身の潔白さを示すため、戸が一つもない産屋を作り、その中で児を産むことにしました。もしお腹の児が命の子供でないならば、焼け死ぬであろうといって産屋に火を放ちました。火はみるまに産屋を包みましたが、その燃え上がった炎の中で、不思議にも比売は三人の児を生みました。

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疑いも晴れ、瓊々杵命(ににぎのみこと)と木花咲耶比売(このはなさくやひめ)は、高千穂の国で暮らしました。


ここからは小生の私見です。

古事記・日本書紀には上記のように記述されていますが、幾つもの個所に矛盾があります。まず 神話だから 天国 地上 地獄 と解釈しているのかもしれませんが 高地 現生の世界 死者の世界だと考えます。

また 古事記・日本書紀 を編纂した「藤原 不比等(ふじわら の ふひと)」は、語り継がれてきた神話を故意に改ざんした証拠が多数あります。


藤原不比等(ふじわらのふひと)という人物は、700年前後(飛鳥時代末期〜奈良時代初期)に官僚として活躍した人物で、平安時代に奈良興福寺を建立したり、朝廷を支配した藤原氏の祖として 藤原氏の地位を高めた日本古代史の重要人物です。
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かねてから百済(くだら)と争っていた新羅(しらぎ)は,高句麗(こうくり)と戦っていた唐と結び660年,ついに百済の都を占領,王らを捕虜としたので,百済の遺臣は日本に救援を求めた。大和朝廷は朝鮮南部の日本の権益を守るため,これに応じて大軍を派遣,斉明(さいめい)天皇・中大兄(なかのおおえ)皇子らも北九州に本営を置いて指揮したが,斉明天皇は病死。「大化の改新」により政敵を倒した天智天皇の水軍は663年8月27・28両日の白村江の戦いにおける海戦で唐の水軍に、大打撃を受けたので,朝鮮からすべての兵を引き揚げた。百済遺民軍の指揮官「豊璋」大敗する直前、部下を騙して自軍を捨ててこっそりと手勢数名だけで抜け出し行方知れずとなり、高句麗へ逃げたと書かれているが、実際には、救援に来た日本の水軍と合流し、密かに日本へ戻ってきていた。豊璋は正体を隠すために、天智天皇から藤原鎌足の名をもらって帰化した。

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藤原不比等による改竄の一例 
藤原氏は「嘘も百回言えば本当になる」という信念を持っている。
朝鮮人:藤原不比等は日本征服の記念誌たる日本書紀を作るにあたって伯耆国(ほうきのくに)に天皇がいた事をことごとく消し去る作業をしている。それは蘇我氏や天武天皇の出自を消すためである。百済の王族の正当性を作り上げる為に伯耆国の地名や神社や伝承を九州や大和等に書き換えた。


中つ国(現在の中国地方)鳥取県北栄町にあった葦原中つ国を宮崎県に持っていき、神武天皇の兄弟四人がおられた四王寺山を宮崎県高千穂町の四王子峰に移し、大物主も、伊須気余理比売も溝咋姫も奈良と茨木市に移して伯耆国にいたことを解からないようにした。「詳細は後日(高天原は伯耆・蒜山)で紹介します」


宗像三女も米子の宗像にいたのを北九州に移した。孝霊天皇がおられたこともすべて消し去り日本書紀には記載しなかった。2代から9代までの天皇のことも書かなかった。※第2代・綏靖天皇から第9代・開化天皇までの「欠史八代」については、物部系海人族による政権が続いており、後に主流を占める秦氏系北朝皇統からは"都合が悪い"として詳細を封印された。

天孫降臨で、葦原中ツ国を明け渡した大国主命が出雲に行ったことは書いてあるが事代主命・建御名方命のことも書いてない。不比等は、神社の祭神を書き換えたり、潰したり、神主を変えたり、新しい神社を作ったり新たに伝承を植え付けたり、新たな地名を創設し次々と日本の乗っ取りに奔走した。


海人族・橘氏に支援され、越前(福井)を統治していた彦太尊(ひこふとのみこと)が第25代「継体天皇」となったが、日本史上最初の皇位継承問題として誤解が多いのが「継体天皇」です。継体天皇(彦太尊)と百済の武寧王は同一人物です。

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日本で最初につくられた官撰正史は国家によって公式に編纂された『日本書紀』のことです。
これを含め、8~10世紀にかけて6つの正史が作られました。本のタイトルと、それぞれの本にまとめられた歴史の範囲は以下の通りです。

①『日本書紀(にほんしょき)』
:神代(じんだい・かみよ)~持統天皇

②『続日本紀(しょくにほんぎ、読み方注意!)』
:文武天皇~桓武天皇

③『日本後紀(にほんこうき)』
:桓武天皇~淳和(じゅんな)天皇

④『続日本後紀(しょくにほんこうき)』
:仁明(にんみょう)天皇一代

⑤『日本文徳天皇実録(にほんもんとくてんのうじつろく)』
:文徳天皇一代

⑥『日本三代実録(にほんさんだいじつろく)』
:清和(せいわ)・陽成(ようぜい)

 光孝(こうこう)天皇の三代

①~⑥は、まとめて「六国史」(りっこくし)と呼ばれます。すべて漢文で、かつ年代を追って出来事を記述する編年体(へんねんたい)で記されています。

『古事記』と『日本書紀』まとめて「記紀(きき)と呼びます。

編纂事業の中心的役割をになったのは、天武天皇の息子である舎人親王(とねりしんのう)です。紀清人(きのきよひと)らとともに完成させたようですがこれは表向きの話です。実際は藤原 不比等(ふじわら の ふひと)が最終的に韓国百済の都合のいいように大半を改ざんした。

 

出典
ウィキペディア
「日本の神話 天孫降臨」 - 神社本庁
佐竹淳如氏、田村誠一氏、vetty氏の高天原=蒜山説

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2021年1月 1日 (金)

高天原・天孫降臨-1 高天原

1月1日の誕生花       フクジュソウ 福寿草)

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花言葉:     思い出、祝福、永遠の幸せ

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昨年は多難な年でしたが 本年こそ皆様に

 は良い年であります様に祈念致します。

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2021年(令和3年・皇紀2681年)


       皇室の起源

神武天皇(紀元前711年~紀元前585年4月9日)は、日本の初代天皇とされ、『古事記』『日本書紀』に登場します。「日本書紀」によれば、天皇としての在位は神武天皇元年1月1日(紀元前660年2月11日)~神武天皇76年3月11日(紀元前585年4月9日)の76年間とされ、これによれば、亡くなった年齢は127歳だったことになります。

 

    高天原(たかまがはら)とは・・・

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高天原とは・・・天照大御神を主宰神とした天津神が住んでいるとされた天上の世界。だが日本各地に「高天原」が現在13か所も存在する。日本の成り立ち、皇紀2681年に及ぶ「皇祖神の絶対性」を強調する為 歴史学者の数だけ説が有ると言われる。
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   伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、
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天照大神に高天原を治めよと命じます。皇祖・天照大神は高天原を治める神になり、皇室が始まりました。高天原から蒜山の系統は天津神、あるいは天孫族といいます。これに対して出雲は国津神といわれます。神武天皇の后である伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)は、
出雲の出身で、大国主命あるいは事代主神の子と言われます。この伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の子が二代・綏靖天皇となるわけです。これを天津神と国津神の融合とも言います。


諸説ある中 主なものを調べてみました。

 

高天原(たかあまはら、たかあまのはら、たかのあまはら、たかまのはら、たかまがはら)は、『古事記』に含まれる日本神話および祝詞において、天照大御神を主宰神とした天津神が住んでいるとされた場所のことで、有名な岩戸の段も高天原が舞台である。


日本神話で、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめ多くの神々が住んでいたとされる天上の世界。「根の国」「底つ国」に対する世界で、それらの中間に「葦原(あしはら)の中つ国」「顕国(うつしくに)」があるとされた。


日本神話で,天照大神 (あまてらすおおみかみ) ・素戔嗚尊 (すさのおのみこと) ら天つ神の住む天上の世界この天上に対する国土の豊葦原 (とよあしはら) で,出雲・筑紫神話が展開した。記紀(古事記・日本書紀)では,皇祖神の絶対性を強調するため明確に区別している。


【高天原神話】より
記紀神話には,天界高天原,地上界葦原中国(あしはらのなかつくに),地下界黄泉国(よみのくに)(もしくは根の国)という3層の神話的世界構造がみられる。それぞれに王権神話における固有の意義をにない,単に天,地上,地下というだけではない。


天孫降臨神話】より
〈日の御子〉が地上界の支配者として天降(あまくだ)る由来を物語り,記紀神話の中心をなす。天界の高天原(たかまがはら)で諸神が協議し,日神天照大神(あまてらすおおかみ)の子を地上界葦原中国(あしはらのなかつくに)に天降すことになる。ところが地上には,大国主(おおくにぬし)神を頭目とする荒ぶる神々が跳梁していた。


黄泉国】より

平面的な生活空間を立体的に構造化したとき,天上,地上,地下の3層から成る神話的な宇宙空間が成立する。記紀の伝承では,それらは〈高天原(たかまがはら)〉(高天原神話),〈葦原中国(あしはらのなかつくに)〉および〈黄泉国〉または〈根の国〉にそれぞれ相当する。〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界であり,実際そこは地下へと通ずる山中や海辺の洞窟で,死体を遺棄する場所でもあった。 島根県松江市東出雲町に現存しています。
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      黄泉比良坂 黄泉国入口

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    (ここまでの出典「コトバンク」)

  

        高天原 

  日本各地に伝わる主な高天原

  葛城・金剛山高天台 - 奈良県御所市高天

   高天彦神社(後日紹介します)
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奈良県南部の御所市高天。金剛山の麓に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ金剛山は、古くは高天原山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに所在する高天彦神社は延喜式では最高の社格とされた名神(みょうじん)大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊(たかみむすび)神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。

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参道の両側には杉の古木が立ち並び、神さびた雰囲気を漂わせている。古典作品では、『蜻蛉日記』にて『夢ばかり見てしばかりにまどひつつ明くるぞ遅き天の戸ざしは』という和歌があり、さらにこれに続く和歌として『さもこそは葛城山に馴れたらめただ一言や限りなりける』とあることから、天岩戸が葛城山にあったとする理解は遅くとも平安時代まで遡ることが解る。鎌倉時代の『三流抄』には『太神・・・大和国葛城山高間原天岩戸ニ閉籠リ玉フ』とあり、また能の葛城や代主などの舞台もこの地とされることから、中世における高天原の所在地は葛城山付近と理解されていたと考えられる。最終的には江戸時代初頭まで、新井白石が常陸国説を唱えるまでは、この地が高天原史跡だと考えられていた。

 

蒜山(ひるぜん) - 岡山県真庭市

『古事記』は編纂1308年を迎えました。皇紀2680余年 『古事記』に登場する神話は、『出雲神話』がおよそ三分の一を占めており、「出雲大社」も近くに有り 中でも須佐之男命 のオロチ退治は全国的にも有名です。高天原から見ると 「葦原中国(あしはらのなかつくに)出雲・伯耆・美作・因幡」とは現在の中国地方で、島根県松江市東出雲町に有る〈黄泉国〉または〈根の国〉〈黄泉比良坂〉とか〈黄泉の穴〉は,黄泉国とこの世との神話地理上の境界である。また素戔嗚尊が降臨した地も少し離れた奥出雲(現在の島根県)で父神 イザナギノミコトの命令を聞かず、亡き母に会いたいと泣き続ける素戔嗚尊 を父神は追放します。素戔嗚尊は姉である日の神、天照大神(あまてらすおおみかみ)のいる高天原(たかまがはら)に行きますが、そこでも散々乱行を働いたために天照大神は岩屋戸に隠れてしまいます。日の神が隠れたことにより世界は暗闇となり災いが訪れ、これは大変と高天原の八百万(やおよろず)の神たちは計略をもって天照大神を岩屋戸から引き出し

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スサノオを追放します。またもや追放された須佐之男命降臨したのが、出雲国(現:島根県)東部の奥出雲町に在る鳥髪峰(現:船通山)という地でした。(出雲市を流れる斐伊川の源流)そこからしばらく行くと、美しい娘「奇稲田姫(くしなだひめ)」と老夫婦が泣いており、聞けば恐ろしいヤマタノオロチに娘が食われてしまうといいます。須佐之男命 は娘を嫁にもらうのと引き換えに、ヤマタノオロチを退治することになりました。それに隣接する安来市のやすぎの地名は、彼がつけたという風土記の記述もある。


 素戔鳴尊に関する記述は 
当ブログ 2020年 
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7月30日・8月6日・8月13日・8月20日 4回に

     分けてアップしています。



岡山県真庭市に鎮座する「茅部神社」後日紹介します。

蒜山高原の近くに天岩戸、真名井の滝、天の浮橋がある。

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高原町(たかはるちょう) - 宮崎県高原町

「古事記」をもとに江戸時代の作られた「テーマパーク」ともいわれています

高原町は、後ろに高千穂峰がそびえている地理的な側面もあり、江戸時代から天孫降臨の地として認識されていたようである。江戸時代末期に薩摩藩により編纂された『三国名勝図會』では、土俗傳へ云、當邑を高原と號するは高天原の略称なりと、凡日向国内此辺は、神代の 皇都に係り、今に都島都島は今の都城、高城などといへる地名殘るも此が為にて、此地、都島と接し、(後略)、とある。そしてその伝承に沿うかのように約200年前 山頂に「天逆鉾」が立てられている。立てられたのは江戸時代辺りと推定されるが、詳細は不明である。又、高原町は、神武天皇御降誕の地としても名高い場所である。『日本書紀』にある神武天皇の幼名「狭野尊」が当町の狭野地区を指しているというのが主な根拠であるが、江戸時代半ばから末期にかけての神社関連の古文書の中に複数の地形を挙げて神武天皇の『聖蹟』としている。ただ、具体的な説明はなく、現在説明されている神武天皇関連の説明の大筋は『三国名勝図會』に依っている。伝承では、いわゆる東征までこの地で暮らしたとされている。


高千穂(たかちほ) - 宮崎県高千穂町 

小学校で学んだ 高天原は宮崎県高千穂 と言う記述は 古事記・日本書紀に出てきますが この記述は編さん者「藤原 不比等(ふじわら の ふひと)」によって故意に曲げられた作り話と言われます。なぜなら宮崎県北部。天岩戸や天香具山、高天原、四皇子峰等がある。高千穂神社では、天鈿女命が舞ったことから始まったとされる高千穂の夜神楽が伝承されている。まだ新しい時代に観光地として整備されたと言う説があります。


阿蘇・蘇陽 - 熊本県山都町


高天原神話の発祥の神宮であると近年になって自称している「日の宮・幣立神宮」がある。御神体は豊国文字と阿比留文字が彫られた石板であり、「アソヒノオオカミ」と「日文」が表裏に刻まれている。ちなみに「幣立」とはヒモロギを意味し、太古 天の神が御降臨になった聖なる地とされている。


大韓民国説もあります。 慶尚北道高霊郡


高天原は実在の地域を反映しているとする説は古くから存在し、第二次大戦後は主としてアマチュア研究家によって朝鮮半島説も唱えられることがあった。当初その比定地とされたのは、戦前から一部の研究家によって素戔鳴尊が立ち寄ったという新羅のソシモリの候補とされた、『冬のソナタ』のロケ地として知られる江原道春川市であって、慶尚北道高霊郡ではなかった。春川に代わって名乗りをあげたのが高霊郡であった。加耶大学校の李慶煕総長がこの説の主唱者で、1999年6月28日に「高天原故地」と記された石碑が建立された。
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(ここまでの出典)
ウィキペディア
高天彦神社
古事記・日本神話の伝承地~高天原史跡ガイド
御所市高天 葛城高天原・神話の里・天孫降臨神話

 

古事記・日本書紀については、後日小生の説をご紹介いたします

 

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          2021年1月の新作

 大きな和風のおリボンを作りました♪

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 おリボンは左右アシメトリーに生地を切り替え

 リボンの端にはラインストーンが2つ 


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 【和リボン・市松&麻葉】 ¥1650(税込)
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